
みなさんあけましておめでとうございますトキイロの記事上げたことをすっかり忘れていたホームドアです。3/14に全国のJR線をはじめとした多くの鉄道会社でダイヤ改正が行われ、JR東日本では設立以来初の運賃改定も実施されました。が、この記事では時を遡り3月上旬の話をしたいと思います。
キュン♥パスを、使う。
2024年から発売を開始し、今年で3年目となったキュン♥パスこと「旅せよ平日!JR東日本たびキュン♥早割パス」
JR東日本のオンライン予約サービス「えきねっと」でのみ購入が可能かつ、利用開始日の14日前までの購入・平日のみ利用可能という制約がありながらも、それを覆すかのようなコスパになっているのが特徴です。
閑散期である2月中旬〜3月中旬に利用が可能で、1日用または連続する2日用(2025年より)の2種類が発売、指定席特急券2回(2日用は4回)が追加料金ナシで発券できるほか、回数制限のなく自由席が乗り放題。料金はこの内容で1日用10,000円、2日用18,000円となっています。
一昨年は新潟から秋田、横手、北上、小牛田、石巻、仙台と東北を(だいたい)一周、去年は1日目に大糸線と辰野支線、2日目に新潟近郊となんとか元を取ろうと必死にキュン♥パスでグルグルしているこの私ですが、今年も性懲りもなく朝から晩までウロチョロしたのでここに記します。
朝
この日は四ツ谷駅中央緩行線ホームのホームドア稼働開始日。昨年から頭角を現し始めたスリットフレームホームドアですが、中央・総武線では西船橋2・3番線に次ぐ2駅目の設置らしいですね、今後は新宿以遠の未設置駅と船橋〜津田沼間の各駅にも同タイプが設置される予定です。

ふと思い出したかのようにきっぷの発券を忘れていたので急遽四ツ谷で指定席券売機へ駆け込むハメに、この先でもよかったのですが、なんだか不安でしゃーないのです。一路東京を目指し後続の中央快速線へ。

相も変わらずトンデモない長さの階段を滑り転げるかのように下り辿り着いたのは新幹線乗り換え口。ここ東京から日本各地へと列車が発つ玄関口的存在のこの空間。今回は多客期運行の臨時列車である6時ちょうどのはやぶさ49号に乗車します。

はやぶさ49号はE5系単体10両編成での運行。定期ダイヤではE5系単体で運転されるはやぶさ号新青森行きは日に1本しか存在しないので、何気にレアな列車といえるでしょう。授業終わりにえきねっとを急ぎで叩いてみたものの窓側は間に合わず。妥協のC席であったゆえに車窓の画像がありません、何卒…。
はやぶさ49号は最速達タイプに近い停車駅で走り、上野・大宮・仙台・盛岡・八戸の順に停まります。車内はキュンパス特需により大宮までにほぼ全ての座席が埋まるほどの盛況。ただ早朝ということもあり車内は静かで非常に快適な2時間強を過ごすことができました。

8時13分、盛岡に到着。1982年に大宮以遠が一斉に開業して以来40年以来ホームの大規模改修は行われておらず、どこか前時代を感じさせるレンガ調の壁と波打つ屋根が特徴です。地味に岩手県央エリアは初上陸。北上駅・一ノ関駅は乗り換えで使ったことがあるのですが…。朝食を補給したいところですが微妙に時間がないので駅前に出て盛岡の空気を吸うだけに。

駅ビル「FESAN」と一体化した明るいオリーブ色の駅舎が特徴的、駅前には近郊各地から通勤通学需要を拾った岩手県交通の路線バスが集結します。どこかで見たことあると思えば埼玉県を中心に運行される国際興業バスや、山梨交通で散々見た黄緑と緑のカラーを纏ったバス。どうやら現在は独立しているそうですが、元を辿れば国際興業グループに属していたそうです。初耳。
いざ三陸へ。

ここからは3月のダイヤ改正で新型車両HB-E220系に置き換え、指定席廃止と同時にワンマン化された釜石線快速「はまゆり」に乗車。改正前はキハ110系0番台で運行され、自由席2両に加え、JR東日本管内の定期運行快速列車では数を減らした指定席車両が1両連結(繁忙期は2両連結)されていました。指定席車両は必ずリクライニングシートが搭載された車両が連結され、中ほど2両目も運用の都合上から同様の車両が連結されていることが多々ありました。今回はせっかくならと指定席車両に乗車。残りの2両はカラフルなヘラルボニーラッピング車両でした。前日の深夜にえきねっとを見ていたところ直前で窓側が開放されたので急ぎで抑え四ツ谷で発券したのです。伏線を回収か。
盛岡から東北本線を南下し花巻より釜石線に入るはまゆり号は、改正前も現在も1日3往復が運転。そのうち朝と夕方の2往復(旧1号・5号・2号・6号)は東北本線内でも快速運転を実施しています。花巻までの途中停車駅は矢幅のみ、幹線を快走する気動車快速にはそそられるものがあるものです。残りの1往復は盛岡〜花巻間の全ての駅に停車し、東北本線内完結利用の需要も拾っているという点がポイントです。最も、現行ダイヤでは東北本線の電車の10分続行で運転されることから果たしてその需要たるや…というのは目を瞑ります。
8時40分、定刻通りに盛岡を発車した快速はまゆり1号は座席の向きと逆方向へ出発。意図して私が変えたものではなくデフォルトでこうなっているのです、どうしたんだ、一体。先述の通り東北本線を爆走し矢幅には8時50分に到着。東京に住む私にとって“キハ110系に乗る”、という行為はそこそこに気合が必要なため久しぶりの乗車に心が躍っていたところ前方の踏切が〜などと緊急停車、早速先行きが不透明になってきました。大丈夫か。数分後には運転を再開したものの、果たして遅れは回復できるのか…。

ところは変わって花巻に到着、岩手県下では人口4位に位置する街です。ここでは釜石線の配線の都合上、盛岡(花巻空港方)から来た列車は似内・釜石方面へ進むため方向転換を余儀なくされます。釜石線のはじまりは1913年、花巻〜土沢を岩手軽便鉄道が開業させたところ。のちに(廃)仙人峠(現:上有住駅北部・国道283号線付近)駅まで延伸され、貨物輸送を主として山越えは索道で行っていました。開業当初はナローゲージとも呼ばれる762mm軌間でいわゆるマッチ箱のような汽車が走っており、路線規格も現在と大きく異なっています。
岩手軽便鉄道は1936年に国有化され、民営化を経て現在に至ります。岩手軽便鉄道の花巻駅は当時の官営鉄道(東北本線)とは別の位置に設置されており、現在とは異なり盛岡方が行き止まりとなっていました。しかしながら国有化のタイミングで東北本線の駅と統合され、東京方が行き止まりとなるような配線となり、花巻〜似内間は大幅な線路の付け替えが行われました。東北本線や常磐線から枝分かれする路線、大船渡線を除いて全てが東京側から直進して進入できる構造になっていますが、ナニか規則や法則はあったのでしょうか…。ご存知の方はコメントしていただけると幸いです。

はまゆり1号は新花巻・土沢・宮守の順に停車し、10時09分に釜石線内の中心駅である遠野に到着。
釜石線の前身、岩手軽便鉄道は花巻市出身の宮沢賢治の名作『銀河鉄道の夜』の舞台とされており、この釜石線も1995年から「銀河ドリームライン釜石線」の愛称が名付けられていています。この特徴的な駅名標のデザインも2014年にリニューアルされたもの。釜石線では2014年から2023年までC58牽引によるSL銀河号が運転されており、SL運転開始のタイミングで駅名標をはじめとした路線のブラッシュアップが図られました。賢治が作中に多く用いていたエスペラント語による各駅の愛称も付与され、遠野駅では柳田國男作『遠野物語』からとられたことを想起させる[Folkloro(民話)]となっています。

10時58分、約6分の遅れを持って釜石駅に到着。乗り継ぎ先は本来の出発時刻を過ぎつつ待っていました、写真右奥4番線に停車中の三陸鉄道リアス線宮古行きへ乗り換えます。乗り継ぎが済み次第列車は発車。車両は2013年より投入された36-700形。東日本大震災を経て、初期増備の車両は中東に位置するクウェート国の支援を受けたというエピソードが有名です。車号を見る限り乗車したのはリアス線延伸時に増備された36-716号車、もう山田線転換から7年も経っているんですか。時の、流れ。

この区間は1930年代に鉄道省山田線として開業した区間、線形は海岸を沿ってクネクネと曲がります。釜石から4駅、吉里吉里に到着。不思議な駅名としてよく知られていますが、由来はアイヌ語で「白い砂」を意味する「キリキリ」説、吉里吉里海岸の砂を踏むと「キリキリ」鳴るから説など諸説あるようです。キリキリ鳴る砂、気になりすぎる。

列車は順調に進み宮古市内へ。八木沢・宮古短大駅は2019年の全線再開時に新設された駅で、駅名にもなる岩手県立大学宮古短期大学部は本州最東端の大学になっています。この「地名・学校名」系の駅名、全国各地に散らばっている印象が。例示するとなれば名鉄犬山線の徳重・名古屋芸大駅、叡山電車の茶山・京都芸術大学駅、そして京福電気鉄道の等持院・立命館大学衣笠キャンパス前駅…。やはりどこもうっすら駅名がなっげ〜笑という印象を受けますが、上記はすべて後付け、開業時よりこの名称となっている八木沢・宮古短大こそが本当の“駅名”なのかもしれませんね。?

列車は12時23分に宮古に到着。三陸地方では石巻市・気仙沼市に次ぐ人口43,000人超の都市となっています。三陸鉄道の本社機能・車両基地は宮古に設けられ、リアス線の運行拠点ともなっています。ここらで1時間半の接続時間があるので昼食を摂ることに。あいにく写真がありませんでしたが宮古市魚菜市場までフラッと出歩いた記憶。駅周辺を散策しているとあっという間に改札開始時刻になってしまいました。

この日は天気も非常に良く宮古の街も澄んでいました。寒かったけど。寒かった。

次に乗車するのは13時54分発の普通列車久慈行き。リアス線を再び北上する形となります。ふと気になるのが電光掲示板2段目の「さかり」行き。漢字表記をしない理由をふと考えてみましたが、同じく宮古駅から発車するJR山田線の「盛岡」行きと区別しているのでしょう。

ここら辺で前日の睡眠不足が響きせっかくの海側座席を前に就寝を開始。ふと目を覚ましたところ2020年開業の新田老駅でした。隣の田老駅との駅間距離はわずか500mと都心のような加減速が見られます。新田老駅のホームは3階レベルに位置し、宮古市田老総合事務所新庁舎と一体化した駅舎になっているのが特徴です。
地元の周辺案内板には東日本大震災で甚大な津波被害を受けたたろう観光ホテルの文字が。1986年にオープンした同ホテルは太平洋にほど近い6階建てのコンクリート製の建物でしたが、そこを襲ったのは前代未聞の16mの津波。1階から3階付近はフロアが全て抜け落ち跡形もない姿となってしまいました。現在でも震災遺構として骨組みと4階以上は遺され、震災・津波の脅威を後世に伝える重要な役目を果たしているのです。

列車は白井海岸駅を発車し高台を経て橋梁に突入。ここは北リアス線区間でも絶景ポイントとして知られる大沢橋梁。海沿いを走りますが昭和後期の建設故、トンネルが多く意外と海が見えにくいのです。列車は目の前に海の見えるスポットで一時停止するというのが特徴。この先の堀内〜野田玉川間の有家川橋梁でも一時停止し、三陸の起伏の激しい地形と太平洋という絶景が見られます。

15時31分、終点の久慈駅に到着。山田線区間に比べ高規格線路でトンネルも多いように感じましたが、高台から望む太平洋が美しいセクションでした。久慈市は人口3万人弱の都市、北三陸最大の都市となっています。ちなみにアクセントはくじ→。“9時”と読むのは実は地元でない方が多数らしいですね、かくいう私もつい先日まで9時読みだったんですが…。
ご覧の通り宮古とは異なり久慈駅舎は三鉄とJR八戸線で分離しているのが特徴。しかしながら元を辿ればリアス線も国鉄の路線だったゆえ線路は今でも繋がっているほか、改札内にもJRと三鉄の連絡通路が設けられてることが歴史を想起させます。

1975年に国鉄久慈線として久慈〜普代間が開通したのち、1984年には三陸鉄道北リアス線に転換されました。わずか9年の国鉄時代でしたが、その後も不定期ながら八戸線〜北リアス線の直通運転が行われ、特に1997年から2010年の夏季シーズンに運行された仙台駅より東北本線・石巻線・気仙沼線・南リアス線・山田線・北リアス線・八戸線を経由し八戸駅まで至る(上りも設定あり)長距離快速「リアス・シーサイドライナー」が著名です。この列車ではバブル期のジョイフルトレインの香りが比較的直近まで残っていた東北エリアでは三陸鉄道の車両のほか、JR東日本の「エーデルワイス」や「Kenji」を使用した時期もあり、2000年代までは定期快速列車である「南三陸」やジョイフルトレイン「こがね」を用いた「こがねふかひれ号」と併結して運転されていたこともありました。現在は震災によるBRT転換によりこのような運転形態は難しくなりましたが、盛〜八戸間を結ぶ臨時列車の運転実績は昨年秋にもあり今後の運転にも期待されます。

続いて乗り換えたのはJR八戸線。使用車両は2018年から運用されているキハE130系500番台です。他の番台とは“そこまで似ていない”印象を受けますが、一旦見比べてみましょう。

うーん、絶妙!
従来の同形式と比べると側面塗装の主張が落ち着いたほか、前面腰部の帯が細くなり前照灯がLEDになったというマイナーチェンジを経て登場した500番台。塗装が変わるだけでだいぶ印象が変わるんですね…。
列車は久慈を17時00分定刻に発車。新型車両ということもあり滑らかな走行がみられます。久しぶりのJRらしさ全開の車内でどことなく落ち着きますね。陸中夏井・侍浜・陸中中野と順調に停車したどり着いたのは…

岩手県は洋野町、種市駅です。ちょうどWBCのシーズンだったこの時期は投手として活躍していた種市篤暉選手と同名ということで個人的にはテンションが上がっていたのですが、一方で外気温は下がる一途。3月の18時前の北東北ということで予想はついていたのですが、やはり海に近いこともあり顔に当たる風が冷たい、冷たいんだ。ちなみに次の八戸方面行き列車は80分後、とりあえず夕飯を摂取しようと海沿いにある「マリンサイドスパたねいち」さんへ。温泉のほか宿泊サービスも行なっているそうなのですが装備が不十分ゆえ食事だけいただいた上、目の前に海が見えるとして人気とのことでしたが辺りは真っ暗で全く見えませんでした、悔しい…。再履修を前提に後にし、周辺をふらつきつつ列車を待ちます。
次の列車が来る頃には19時をまわり人気も少なくなってきました。19時02分発の八戸行きで八戸を目指します。

19時12分、青森県に突入し交換駅である階上に到着。ここ階上駅は同線の陸中八木駅の次にJR東日本管内で遅くまで腕木式信号機が使用されており、撤去されたのはなんと2005年。現在でもモニュメントとして保存されており貴重な鉄道遺産の1つとなっています。久慈行きの列車を待ち発車、八戸まではあと50分の道のりです。

辺りは八戸市街に入るまで車窓は真っ暗、鮫を過ぎ八戸市内に入ると学生の姿もみられ賑やかになった車内でしたがあっという間、20時03分に八戸駅に到着しました。八戸駅は青い森鉄道との共同使用駅、管轄は青い森鉄道となっていますがJR東日本からの転換路線(東北新幹線延伸開業に伴う並行在来線化)ということもあり所々にJRの雰囲気を醸し出しています。八戸〜新青森がJRから青い森鉄道へ転換されたのは2010年と比較的最近の出来事、目時(IGR線盛岡)〜八戸が2002年に先行転換してから2010年までの間は青森車両センターに盛岡地区用の紫帯をまとった701系1000番台が転属・配置され、最終的に7編成が運用されました。その後同編成は青い森鉄道へ移籍し現在でも青い森701系として活躍しています。

向かい側にはJR東日本・青い森鉄道・IGRいわて銀河鉄道の3社の車両が停車中。手前より大湊線の快速列車「しもきた」として1日3往復野辺地駅より青い森鉄道へ乗り入れるキハ100系200番台。実は配置が盛岡車両センター八戸派出所となっており、主戦場とホームが他社線を跨いで離れている稀有な例となっているのが特徴です。2本目は先述した青い森701系。側面にはマスコットキャラクターである「モーリー」のラッピングが施され、昨年より2代目となる新塗装に装いを変え運行されています。続いて1番奥にはIGRいわて銀河鉄道のIGR7000系が停車中。青い森701系よりも深い青色の帯が纏われ腰帯にはアクセントの橙帯が施されています。
青い森鉄道とIGRいわて銀河鉄道は出自が同一路線であることもあり終日にわたり直通運転が行われ、今年のダイヤ改正からは青森〜三戸間限定運用とされていた青い森703系が境界駅である目時を超え一気に盛岡へ乗り入れるようになりました。ここだけでなく新幹線開業によって第三セクターとして会社が分断されてしまった並行在来線の相互直通運転は各地で行われ、有名なところであるとあいの風とやま鉄道・IRいしかわ鉄道・ハピラインふくいの3社による富山〜石川〜福井の3県直通普通列車がJR時代以来11年ぶりに今改正で復活し話題を呼びました。地域密着型という第三セクターのメリットを活かしつつ現在では社線を跨ぐ転換以前の運行形態を残すという難題であろう運行体制が変遷を遂げ磨かれていくという姿とその企業努力には感銘を受けるものがあります。

乗り換え時間はわずか、20時13分発の東京行き最終はやぶさ44号で一路東京へ帰ります。20時を過ぎても青森県内から東京に帰れる新幹線は偉大、車内は比較的空席が見られましたが仙台を過ぎると一気に満席となりました。仙台以南はこの後ももう1本東京行きの列車が残っていますが最終接続の点も鑑みるとはやぶさ44号が盛況となるのも妥当です。辺りはすっかり真っ暗、車内には少しの話し声と高速で走行する新幹線の唸りが響くのみです。23時手前となり都内へ突入するとようやくネオンが煌々と輝き都心へ帰ってきたことを実感させます、東京駅まではあと少し。
23時04分、はやぶさ44号は定刻で東京駅に到着。未だ小田原や大月、成田への終電が残っているのが驚きですが、真っ直ぐ自宅へ帰らせていただきます。

このエスカレーターを上る時が最も現実へ引き戻られる時間なのだ。

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