【検証】東京はどれくらい長野になったのか

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-東京は、長野だ-

突然ですが、このキャッチコピーをご存じの方、いますでしょうか?

知らない人は「は?」と思うでしょうし、知ってる人でも「いまだに謎」という方も多いでしょう。

整備新幹線第1弾として、1997年10月に華々しく開業した北陸新幹線の高崎~長野間こと、通称長野新幹線(この愛称消えてもう10年ってマジすか)。

この開業の際に、新幹線完成に歓喜する長野の皆様に対するキャッチコピーとして、そして東京圏の方々からも長野が手軽な観光地になったことを大いにアピールするために、若干興奮気味なキャッチコピーとして制定されたものがこれです。

この意味不明すぎるキャッチコピーのインパクトのせいで、今でもSNSを中心にさんざんネタにされています。

さて、このキャッチコピー誕生の背景に、当時長野を出ると、軽井沢をはじめ高崎はもちろん、大宮駅、上野駅までも通過し、長野~東京間をノンストップで結ぶ最速の新幹線が設定されたことに起因します。

では、そんな長野新幹線のキャッチコピーこと「東京は、長野だ」。2024年現在では当時と比較してどれくらい東京になったのでしょうか。今回は、新幹線開業前後で所要時間を少し調べてみました。

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東京が長野になる遥か前の話 -1961年-

1961年、当時はまだEF63形もデビューしておらず、ED42形がレールとレールの間にある歯車をかみ合わせて碓氷峠の坂を上る「アプト式」の時代。当時の時刻を有志の方がウェブ上に公開して下さっていたので、今回はそちらを参考に見させていただきました

坂を上るため、レールの中央に2対以上の歯車を噛ませて坂を上るラック式システムの一種のこと
粘着定数を増加させることで、坂道に弱い鉄の車輪とレールを歯車で補完していることから、安全性を高められ、またどちらかの歯車が必ず噛み合っている状態にあるため、ほかのラック式と比較しても安全性が高い
1882年、スイスのカール・ローマン・アプト氏により発明されたことから、この名がついている
世界のラック式鉄道のうち、実に8割がアプト式を占めていると言われている

この当時の東京(上野)~長野間の最速達列車は、1日1往復のみ運転していた特急白鳥号、いわゆる「信越白鳥」と呼ばれた列車です。

特急白鳥と言えば、日本最長の青森~大阪間を駆け抜けた「日本海白鳥」の印象が強い方も多いと思いますが、1965年10月改正前までは、大阪~直江津間に上野行き白鳥こと「信越白鳥」を連結した運行がされていました。

そんな信越白鳥のダイヤは1日1往復運転されており、最速達便は下りの白鳥号。使用車両はサンロクトォ改正でデビューしたキハ82系です。上のイラストイメージがそれです。バイト前の時間ないときに10分で描き上げたのでクオリティはお察しください

上野を出ると、途中、高崎、横川、軽井沢に停車し、長野を目指します

上野駅は8時50分発、長野には12時35分着。所要時間は3時間45分です。

ちなみに、上りの場合は同じ駅に停車しながら、長野16時38分発、上野20時35分着。所要時間は3時間57分です

上りの方が所要時間が長い理由は単純明快。碓氷峠区間でブレーキをかけながら勾配を慎重に下っていくため、最高時速が下りと比較してやや遅いことが原因です。

そもそもED42もEF63も、下から押し上げる役割よりも、万が一の際に68‰の下り急勾配でも確実に緊急停止できるようにすることが主目的だったりします。

また、信越本線も単線であったことも一因にあるかもしれません

というわけで、当時の最速達便を図に示すとこうなります

下り上り
2003D2004D
特急白鳥特急白鳥
上野8:5020:35
高崎10:0819:17
横川10:4318:47
軽井沢11:2818:03
長野12:3516:38
所要時間3h45m3h57m

当時は長野まで4時間近い長旅。碓氷峠を超える大変な旅でした

粘着運転と、電車特急の誕生 -1968年-

1963年9月より、碓氷峠を超える補助機関車が、アプト式のED42から、従来の鉄の車輪だけで上る粘着運転に変更されました。

この際に投入されたのが、皆さまご存じのEF63形電気機関車。これまでの茶色い車体ばかりだった横川機関区に青とクリームのツートンカラーは、かなり斬新なものだったと思います

峠のシェルパの名を欲しいがままにしていた彼にバトンタッチしたことで、歯車とのかみ合わせの関係で最高時速を25km/hにせざるを得なかった碓氷峠区間の最高速度を65km/hに一気に引き上げ、所要時間短縮に成功。たちまち彼は「峠のシェルパ」という2つ名を手に入れました

ネパールの高山地帯にすむ少数民族を指し、ヒマラヤ山脈での荷物運びやガイドとしての仕事を主体としている
「シェルパなしでは、ヒマラヤ登山は成立しない」とまで言われることもある

さて、そんな峠のシェルパが出てきて5年後の1968年、いわゆるヨンサントォ改正当時の時刻を見て行きましょう

最速の列車は、下り特急あさま3号。在来線特急あさま号で唯一東京駅を始発とする列車で、現在の上野東京ラインの祖先にあたる「東京回送線」を使用して営業していました。

停車駅は、東京、上野、高崎、横川、軽井沢、小諸、上田、終着長野という感じ。
当時同区間で運転されていた特急「はくたか」よりも停車駅は多いものの、はくたか号の運転時刻が高崎線内のラッシュの返却回送と重なる時間に走行している影響や、当時はディーゼル特急だったことなどから、電車特急あさまが7分ほど短く結んでいました。

時刻としては、東京駅を16時40分、上野駅を16時47分に発車し、終点長野には19時50分の到着。上野~長野間は所要時間3時間3分と、アプト式時代と比較して、粘着運転化&電車化で一気に所要時間を短縮しました

ちなみに、上りの場合は最速は朝イチのあさま1号。長野8時47分発、上野に11時54分、終点東京には12時1分着。長野~上野間の所要時間は3時間7分。こちらは先ほどの停車駅に加えて戸倉にも停車していました。シェルパの力は偉大だなぁ…

下り上り
1005M1002M
あさま3号あさま1号
東京16401201
上野16471154
高崎17571047
横川18241025
軽井沢1845959
小諸1904934
上田1920917
戸倉904
長野1950847
所要時間3h3m3h7m

ちなみに、特急あさまはEF63との協調運転を行うという特徴でわりかし有名でしたが、1968年当時は181系を使用しており、碓氷峠区間は完全に電気系統を使用せず、ほぼ客車的な立ち位置で運行されていました。特急型電車の協調運転が始まるのは、1971年、489系デビューまで待たなくてはなりませんでした。

L特急指定からの協調運転スタート -1980年-

NON IMAGES

1972年、あさま号のL特急化が行われ、3年後の1975年には協調運転が可能な189系もデビュー。

碓氷峠を超えた旅客の往来は、年々増加傾向をたどっていました。

さて、今回手元にあったのが1980年冬の時刻表。スキーブームのちょうど始まりの時期に当たります

この当時の最速達は何本かあり、下り最速の所要時間は3時間13分!

…あれ、遅くね?

そう、実は所要時間が全体的に遅くなったのです。その影響として大きいと思われるのが、2年前の1978年に実施された、所謂「ゴーサントォ改正」。特急列車や急行列車を増強した代わりに、ダイヤの平準化を図った結果、一部区間で最高速度が低下し、所要時間が延びてしまいました

新幹線開業までの暫定措置とはいえ、現在でも「改悪」として名を遺す改正は、特急列車の運行頻度の高い高崎線を通る特急「あさま」とて、例外ではなかったのです

ちなみに上り最速はあさま6号。長野を8時42分に発車し、上野には12時ジャスト。所要時間は3時間18分です。

下り上り
5033M5026M
あさま13号あさま6号
上野15:4612:00
高崎17:0710:40
横川17:3710:15
軽井沢17:559:48
小諸18:169:25
上田18:309:10
戸倉18:428:58
長野18:598:42
所要時間3h13m3h18m

特急あさま、最盛期 -1989年-

幕が快速なのは許せ

国鉄分割民営化後の1989年。

この年、特急あさまは最盛期を迎え、長野・直江津行き特急「あさま」は定期18往復・臨時7.5往復。金沢行き特急「白山」は3往復運転されていました。

この時代の最速達は、下りあさま17号及び白山3号。

あさま17号は、上野を12時ジャストに発車し、長野には14時44分着。
対する白山3号も、上野を15時30分に発車し、長野に18時14分着。
所要時間はともに2時間44分になり、かなり速達化されました。

この頃になると、上信越自動車道や長野自動車道の延伸により、次第に東京対長野は高速バスが優位に立っていくようになり、さらなる速達化と利便性の向上が図られるようになりました

さらに、ゴーサントォで課題となった高崎線の並行ダイヤも、上越新幹線の開業で線路容量に余裕が生じたことから、所要時間の大幅な短縮に成功しました

ちなみに、最速RTAを狙う場合は、上野駅を15時40分に発車する臨時の上越新幹線「あさひ363号」で高崎まで乗車し、同駅で特急白山3号に乗り換えることで、所要時間を10分短縮できました。
但し、新幹線上野駅は地下深くにあるので実際の効果は5分くらいでしょうか

5分長居できるとはいえ、料金面だと、通常の上野~長野間の自由席特急券が2200円に対し、新幹線を高崎まで自由席で利用して、そこから同区間を自由席で乗り継ぐと2950円かかります。5分のために750円を支払うのはどうかと思いますが、追加でお金を払えばより早く移動できます。
まぁ新幹線の短縮効果が僅か3分のくせして特急料金が1150円も跳ね上がったどこぞのFKI県よりはマシか…

ちなみに、上りの場合も2本あり、あさま10号及び白山4号。所要時間は2時間52分です。
ダイヤとして、あさま10号は長野10時23分発、上野13時15分着。白山4号は長野18時53分発、上野21時45分着です。
こちらも白山4号に追加で750円お布施すれば、高崎から「あさひ328号」に乗り換えて、上野に21時36分着と9分ほど早く上野に着けます。

下り上り
3043M9363C5026M328C
白山3号あさひ363号白山4号あさひ328号
上野15:3015:4021:4521:36
大宮15:5216:0021:2321:16
高崎16:3816:3020:3520:48
横川17:04↙乗り換え20:15↗乗り換え
軽井沢17:2419:49
小諸17:3919:29
上田17:5119:16
戸倉18:0119:06
長野18:1418:53
所要時間2h44m2h34m2h52m2h43m

東京は、長野へ -1998年-

私の顔が思いっきり入ってるので盛大にモザイクかけてます

1997年10月1日、信州民の悲願だった「長野行新幹線」が堂々全線フル規格で開業しました。

当初は、軽井沢からミニ新幹線を計画していましたが、1998年に長野冬季オリンピックが開催されることが決定し、急遽全線フル規格で整備することが決まりました

オリンピックと新幹線開業というイベントが目白押しな長野県の皆様に、その効果をとことん見せつけ、「ノンストップ列車作って高速バスを圧倒してやろう」理論で設定されたのが、長野を出ると、大宮、上野をすっ飛ばして東京までノンストップで結ぶ「あさま3.4号」。

最速達はこの場合も碓氷峠を上る下り列車のあさま3号(矛盾すぎる)で、東京10時20分発の長野11時39分着で、所要時間は驚異の1時間9分。在来線最速RTAを狙い、高崎で新幹線から乗り換えた場合でも2時間34分だったので、一気に1時間25分もの短縮に成功しました。これだけでも新幹線整備の効果の大きさがわかりますね…

逆に上り4号の場合は、長野10時11分発、東京11時32分着。所要時間は1時間12分と、既存比1時間31分の短縮に成功しました。

下り上り
3E ?4E ?
あさま3号あさま4号
東京10:2011:32
大宮
長野11:3910:11
所要時間1h17m1h21m

なお列車番号は時刻表に記載がなかったため、推測で表記しています

東京、ちょっと遠くなる -2004年-

進研ゼミからもらったカメラで撮った写真。3年かけてポイント貯めた割には画質ゴミ&半押し機能がないクソ仕様でした

ミレミアム期を過ぎ、21世紀に突入した2004年(ちなみに行きつけの水族館に2000年生まれの「ミレミー」なるイルカがいたり)

この年の前年、最速達だったノンストップあさま号が、追加で上り便は大宮に、下り便は大宮と上田にも止まるようになりました

まぁ使いにくかったうえに、思ったよりバスから人が流れてこなかったんでしょうね。知ってました

最速は上りのあさま4号。東京~長野間の便で、史上初めて上り列車が最速となった歴史的瞬間です。

長野を10時12分に発車し、東京には11時35分の到着。所要時間は1時間23分と6分ほど伸びましたが、代わりに首都圏内でのきめ細かい動きにも対応できるようになりました。

一方の下り最速はあさま1号。東京7時28分発で長野に8時53分着。所要時間は1時間25分になりました。

今後、大宮を通過する新幹線は現れるのでしょうか…?

下り上り
1E4E
あさま1号あさま4号
東京7:2811:35
大宮7:5211:12
上田8:41
長野8:5310:12
所要時間1h25m1h23m

設備の大規模更新!東京が再び近付く -2014年-

北陸新幹線にとって、開業以来の大規模な変更が行われたのが2014年。

この年、これまで長野新幹線のヌシとして君臨し続けてきたE2系N編成を置き換える目的、そして翌年開業する「北陸新幹線」に向けて、皆さんおなじみのE7系が一足先にデビューしました。

1997年から実に17年間も長野を牛耳ってきたE2系も、設備の陳腐化や高速走行を伴う老朽化でいよいよ寿命を迎えました。

新型車両は、既存の8両編成から12両編成に増強したうえ、全席にコンセントを装備。さらにグリーン車の上位互換であるグランクラスを設定し、より多くの需要を満たすことにも成功しました。

同時に、このダイヤ改正からは北陸新幹線がこれまでの多段式ATCからデジタルATCに変更されたため、加速や減速、列車間隔の調整がスムーズにできるようになったことから、下り1分、上り3分の所要時間短縮に成功しました

具体的な列車でいえば、下りは東京7時24分発、途中大宮と上田に停車し、長野8時48分着で、所要時間は1時間24分。一方上り便は長野10時11分発、途中大宮のみに停車し、東京に11時31分、所要時間は1時間20分と、かつての最速とほぼ同格の所要時間で結びました。

下り上り
505E518E
あさま505号あさま518号
東京7:2411:31
大宮7:4811:09
上田8:36
長野8:4810:11
所要時間1h24m1h20m

ところで今年でE7系デビューから10年ってマジで言ってる!?

この電車は、かがやき号、長野経由金沢行です -2015年-

2015年、長野新幹線は延伸開業し、富山・金沢を結ぶ路線へと変貌を遂げました

同時に、これまですべて「あさま」で統一されていた名称が分けられ、最速型の「かがやき」と停車型の「はくたか」、そして長野止まりの「あさま」という形で分けられました

この改正からは、かがやきが最速達になり、下り便の上田通過も復活。途中停車駅を大宮のみに絞ることに成功しました。

東京対長野県内の需要から、東京対長野・北陸主要都市間連絡へと役目が大きく変わり、それに合わせて所要時間も一部短縮されることになりました。

長野県民にとっても、これまで結びつきの強かった北陸方面へ延びる高速列車の設定での恩恵を受けられただけでなく、北陸の主要都市である金沢や富山から善光寺・軽井沢と言った観光名所までダイレクトにアクセスできる列車が再び設定されたことにもなります。

ちょうど北陸新幹線が延伸した年に善光寺の御開帳が行われたこともあり、観光客は前年比で10%の伸びを見せました

下り上り
3509E3514E
かがやき509号かがやき514号
東京10:3221:19
大宮10:5620:56
長野11:5219:59
所要時間1h20m1h20m

なお、これまで長野新幹線だったのがいきなり北陸新幹線に名称が変わると、混乱が起こることが予想されたことや、長野県からの要請などもあり「長野経由」の呼称が残される形となりました

2度のスピードアップ、最速記録ついに更新へ! -2021年・2023年-

金沢延伸後、北陸新幹線のさらなる速達化を推進する事業が2度に分けて実施されました

上野~大宮、一部区間で速度アップ! -2021年-

まずは2021年。この年から赤羽駅付近~大宮間約18㎞の最高速度が既存の110km/hから130km/hへ向上し、所要時間が1分短縮されました

たかが1分、されど1分。この改正で、ついに開業当時は東京~長野間ノンストップでないと成し遂げられなかった最速79分が、大宮停車の上で再び実現。しかも今回は下り列車でも実現することに成功したのです

下り上り
3509E3514E
かがやき509号かがやき514号
東京10:2420:23
大宮10:4720:00
長野11:4319:04
所要時間1h19m1h19m

上越新幹線の恩恵でさらに高速に! -2023年-

そして、もう一つの改正が2023年に行われた、上越新幹線の速度向上

大宮~高崎間を共用して使用する上越新幹線は、設備や競合相手が少ないことを理由に、長らく最高時速が240km/h止まりでした(一時期、団子鼻の200系が大清水トンネルの下り坂を活用して275km/hでかっ飛ばしていた時期があったらしいですが…)

しかし、新型車両E7系への統一や今後の高速バス競争を考慮すると、このままではいけないのも事実ですし、新潟駅で特急「いなほ」へ接続して、庄内エリアへのアクセスを考慮した場合、航空機との競合で生き残らなくてはなりません。

というわけで2023年のダイヤ改正より、大宮~新潟間で最高時速を35km/h引き上げた275km/hにするとともに、同区間を最大7分短縮する速度向上が行われました。

そして、この速度向上の波は、同じ車両を使用し、大宮~高崎間を共用する北陸新幹線にも押し寄せます。

この機に乗じて、北陸新幹線は最速達便の所要時間を2分短縮し、所要時間は最速77分へ。ついに東京~長野間の最速達記録を更新する運びとなったのです!

ただ、残念ながら上り列車は1分のみの短縮にとどまり、再び上下で所要時間が変わるようになってしました

下り上り
3509E3514E
かがやき509号かがやき514号
東京10:2420:23
大宮10:4720:00
長野11:4119:05
所要時間1h17m1h18m

今後の速度記録はどうなる!?

長野に初めて特急が通った時の上野~長野間の所要時間は3時間45分かかっていました。その後、新幹線の整備効果を大きく受け、現在では1時間17分。かつてと比較して2時間半近く短縮しました。

では今後、この記録が変動する可能性はあるのでしょうか。

結論としては、「あまり変わらないと思う」というのが私の答えです。

現状、東京対長野間の需要は、所要時間の面でJRが大幅に優位に立っています。これ以上速くしても出費が嵩むだけですし、北陸圏からの航空需要を新幹線に流れ込ませることができたという点では、現在の東京~長野・北陸間の移動では現状維持が最も需要と供給が均等につり合いが取れていると言えるでしょう。ただし関西対北陸はお察し案件(小浜経由の大阪延伸決定はよ())

長野までは、アルピコ交通という強力なライバルがいるものの、きめ細かい地域間輸送に関しても長野電鉄線や各路線バスへの接続が図られており、そういった面でも今後10年は、この所要時間が大きく変動することはないでしょう

E7系やW7系の後継車両が導入された際は、加速力を強化した編成が登場することも予想できますので、その際に若干短くなるかな、といった感じだと思います

一方、在来線側でも、Suicaエリアの拡大により、東京近郊区間の仲間入りを果たし、名実ともに「東京は、長野だ」を成し遂げようとしています

まぁやるならToicaと連携取って名古屋までICカードだけで向かえるくらいにはしてほしいものですがね…

終わりに

信州に新幹線があるなんて、もう当たり前の時代になっちゃいましたね

「信州は不便なんだよ」なんて言われていた時代もすっかり過去のものに。今となっては、オールシーズンの高速輸送のみならず、冬季の豪雪の際に唯一マトモに信州とその他の地域を結ぶパイプ役として活躍しています

さらに先日、東海道新幹線が運休になった際のバイパス的な役割を担う路線として、多くの乗客が詰めかけました

台風での被害にあったり、敦賀まで伸びたら非難されたりと、なかなかに不遇な新幹線ですが、それでも信州を大きく変えたこの新幹線の存在意義は忘れないでおきたいです。

今後も、信州観光やビジネスなどにも便利な長野新幹線改め北陸新幹線がより使いやすい列車になることを願っています。

「住職!団体はんが信州に!」
「…知らなんだなぁ…」

「住職!?」

-東京 長野 倍速77分-

スニーカー履いちゃおうかなぁ…

この記事を書いた人

ゴハチさん
どうも五八三系です。名前が長いので「ゴハチさん」と呼んでもらえると幸いです
考察を中心にしょうもない記事をあげていきますのでどうかよろしくお願いします。
あと、動画の補足解説も基本的にここでやります。

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