
こんばんは。今日も1日お疲れさまでした。もう連日寒いですね。横浜中華街が恋しい季節。
さてさて、多摩地域から横浜に行ったことがある人なら体験したことがあるでしょう。横浜線はなぜ「横浜に行かない」のか。
そこには「別の横浜を目指した横浜線」の姿がありました。
というわけで、今回は横浜線はなぜ横浜駅に行かないのか、その歴史を紐解いていきましょう。
外国の玄関口、ヨコハマ

1853年6月3日に突如来航したペリー。彼によって日本は開国せざるを得ない状況になってしまいます。結局、1859年7月1日に開港した横浜港。様々な異文化が交わる、日本最大級の港町として栄えました。
ちなみに、この時に西洋人と日本人の通訳を担ったのが中国人と言われています。翻訳者が住んだ町が、現在の中華街にあたるものです。
買ってばっかりでは金が無くなる、せっかくだし開港したからには日本も何らかの商品を外国とやり取りをしたい。そう考えた当時の日本人は、全国各地から様々な特産品を集めました。
当時の日本は海外から「武器」「綿織物」「毛織物」などを輸入していました。その対価として、日本は「カイコ」「生糸」「カイコの卵」などを輸出していたことが記録に残されています。
当時、生糸の産出量が多かった県として「長野県(諏訪地域)」「山梨県(甲府盆地)」などが上げられていました。特に長野県の諏訪湖畔で取れた生糸は質が大変良く、「糸都岡谷」・「SILK OKAYA」の名が付けられるほどでした。

これら各県から集められた生糸は、当初、中央本線 新宿経由で横浜まで運ぶという、大変遠回りな経路が取られていました。
しかし、遠回りすぎるということで、多少歩くけども新宿寄りは速くて近い「八王子」が集約所として機能していました。そして、八王子から横浜港までを鑓水(片倉の東側)を経由して横浜までを結ぶ「浜街道」で徒歩や馬車で送り届けていたのが、横浜線計画の基となったものでした。この浜街道は、当時設けられていた外国人の行動制限にあたる「外国人遊歩規定」圏内にあったため、外国人からも注目されていたようです。
ちなみに、浜街道を通じての横浜と八王子、山梨や長野県諏訪地域との交流が行われていたのもまた事実。横浜弁と呼ばれる方言には、甲府盆地で使われる方言や諏訪地域の方言と似たことばがあります。
例えば「かたす」は甲府盆地でも使われていることば。どちらの方言でも「片づける」の意味があります。また、「~じゃん!」も甲府盆地や諏訪地域で使われることば。どの地域でも「~だよね!」的なニュアンスで使用されるようです。
私は国中(盆地)の人なので郡内地域はよくわからないですが、読者の皆さんに、もし郡内地域や松本・長野の方がいらっしゃったら「こんな言葉もあるよ!」と教えてくれると嬉しいです笑
徒歩から鉄路へ

1872年に汐留 – 横浜間で開通した日本の鉄道。日本各地に「鉄道路線を敷こう!」という考えが広まります。もちろん横浜線もその対象でした。
生糸を徒歩で運ぶのは流石にきつすぎる!鉄道を敷設しよう!と立ち上がった有志により、「横浜鉄道」が創設されます。
1908年、横浜鉄道により悲願の「横浜鉄道線」が開通します。現在の横浜線と何ら変わらず、八王子 – 東神奈川を結ぶ鉄道路線として一気に開業しました。このころ、横浜鉄道の有志にはある一つの目標がありました。そう、
横浜港まで運ぼう
というもの。当時、横浜鉄道は別でふ頭を作り、倉庫を設置して貸付を行うことで利益を出そうとしました。現在のJR貨物のような、「運ぶ」に「倉庫を貸す」ということを行おうとしたわけです。そのふ頭に行く路線として八王子から東海道線の接続駅である東神奈川まで開通したのが、「横浜線」だったのです。つまり、当初から横浜中心部に行く気はなかった、とも言えるでしょう。
私鉄から国営へ

1910年、鉄道院が借り上げ、「八浜線」という名前に改称されました。しかし、目的は変わりませんでした。翌年には念願の横浜港まで行く貨物支線が開業し、ついに「八王子から横浜港までダイレクトに運ぶ路線」が開通したのです。
一方、1908年の開業当初から旅客路線としても運行していた横浜線。開業と同時に「小机・中山・長津田・原町田(現在の町田)・淵野辺・橋本・相原」の7駅が途中駅として開業しました。横浜線は現在でも多くの利用客がいる路線。当時から混雑はすごかったようで、1917年5月~8月には新幹線と同じ路線幅である「標準軌」に改軌されました。目的は混雑の緩和だったとか。
当時、横浜線は現在の東海道本線のような幹線級路線だったため、この改軌工事が実施されることになったのですが、結果的に元に戻された後は再度改軌されることはありませんでした。
そして、10月。ついに横浜線は国営化されることになります。
近代路線への進化

関東大震災の復興も終わりが見えてきた1925年。東神奈川 – 原町田間が電化。東海道線の電化試験という意味合いが強く、電車の運行は行われませんでした。なお、電車運転は1932年に開始されます。
1930年には横浜港へと続いていた「貨物支線」が東海道線の持ち物に。横浜線は支線を失い、八王子 – 東神奈川間の路線となってしまいました。これが、現在の「嘘の名前」につながることになります。
しかし、1932年に原町田以南で電車運転が開始されると同時に、京浜線と根岸線に乗り入れ「桜木町」まで直通運転を行うことになりました。現在の運行系統とほぼ変わらないものが、やっと作られました。なお、原町田以北も1941年には電化されます。
このころになると生糸が段々と主流ではなくなってきていました。日本は太平洋戦争に突入。激動の時代を終え、生糸産業が日本の主流ではなくなった戦後。1959年には横浜港に続いていた貨物支線が廃線となります。
1968年には日本の生糸産業が衰退の一途をたどることに。いよいよ横浜線は完全に「通勤路線」としての役割を担うことになりました。
そこから車両更新や民営化など、あれよあれよといろんなことがあり、現在の「横浜に行かない横浜線」が誕生したのです。
おさらい
というわけで、ここまでは横浜線がなぜ横浜中心街にいかないのか、その理由をまとめてみました。元は「生糸を運ぶための路線」だったわけで、横浜中心街に行く鉄道路線ではなかった、と言うことがわかってもらえれば、幸いです。
もし東海道線などの中距離列車が止まるのが横浜駅ではなく東神奈川駅だったら…。また別の世界があったかもしれませんね。
そんな横浜線、実は京浜東北・根岸線 桜木町まで以外にも乗り入れている区間・電車がある(あった)のをご存じでしょうか?
直通運転
横浜線ですが、やはり横浜中心街まで直通しないのは不便だということで東神奈川から先への直通運転が行われています。
根岸線直通

東神奈川から先、横浜方面へと伸びている京浜東北根岸線。横浜駅は1面2線であり、折り返し設備がないことから一つ先の桜木町駅まで直通運転を行っています。一部電車はその先、磯子・大船まで直通運転を行います。
日中時間帯は快速電車が桜木町まで直通。それ以外の時間帯は各駅停車が直通していますが、磯子に直通する電車が増便されていたりと、少し違った直通形態がとられています。
なお、大船まで行く電車はごくわずか。大船まで行く電車はそのまま折り返さず鎌倉車両センターに入庫するのが特徴的。横浜線の車両を管轄している鎌倉車両センターが大船駅近くにあるために設定された運用のようです。

横浜線から直通する電車は側面方向幕にしっかりと「根岸線直通」の文字を掲げて運行するようです。
横須賀線直通

このほかにも横浜線、昔は横須賀線と直通運転していたのはご存じでしょうか?
土休日限定ですが、根岸線で大船駅まで行った後、横須賀線に直通し鎌倉方面逗子駅まで直通する電車が存在していました。1998年に設定されましたが、わずか10年で廃止。背景には「わざわざ根岸線を経由してまで運行する理由がない」「根岸線単体直通でいい」「湘南新宿ライン増発したい」などといったことがあったようです。
余談ですが、横浜線直通に限らず逗子駅で折り返す横須賀線は多く、湘南新宿ライン(宇都宮横須賀系統)は全電車が現在逗子止まりになっています。湘南新宿ラインは昔は横須賀線の本当の終点、久里浜駅まで運行していましたが、京急との競合に勝てなかったこと、湘南新宿ラインと横須賀線の車両設備の都合上など、様々な要因が重なっていると言われています。
まとめ

というわけで、今回は横浜線がなぜ全列車横浜駅まで行かないのか、ということについて、歴史を紐解きながら解説していきました。
横浜線から根岸線に直通する列車は年々増発している事実がある一方、元の所属路線である京浜東北線直通電車が減便されているのも事実。東京都心に行きたい人にとってみればいい迷惑のようで、去年の横浜線直通が大幅に増発された際には、不満が相次いでいました。
しかし、「あくまで横浜港に行くための路線であり、横浜駅まで行くことは考えていなかった路線」と言うことを頭に入れておくと、少しだけ見方が変わってくると思います。一駅の乗り換えは本当に面倒くさいですが、その乗り換えには「横浜港に行く」という壮大な歴史的背景が広がっていました。
ところで、来年度からは横浜線のワンマン運転が開始される予定です。南武線のようなことが起きないことを祈るばかりです。
- 晩年眠いので記事の信憑性はないかも(適当)
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横浜線用のE233系6000番台には普段使用する幕以外に「横須賀線直通」、「根岸線経由横須賀線直通」、「根岸線 横須賀線直通」、「横須賀線 根岸線直通」、「横須賀線」、「根岸線経由」、「鎌倉行」、「逗子行」、「横須賀行」、「次は北鎌倉」、「次は鎌倉」、「次は逗子」、「次は東逗子」、「次は田浦」、「次は横須賀」上記の横須賀線系統行き先などがLCDや方向幕に備わってるそうです。205系時代の名残でしょうね。 他にもナンバリング表示がある「JH32 八王子」や「根岸線 京浜東北線直通」、「京浜東北線」などの普段表示しなさそうな表示もあるそうです。