
ご無沙汰してます。ふぺです。
世界で初めて建設された海底トンネルこと関門トンネル。九州の門司と本州の下関を結び、日々多くの人々や貨物列車が行き交う重要な路線として機能していますが、実は関門トンネルは皆さんが思っている以上に厳しい場所だったのです。
開通から約80年が経った関門トンネル、その実態について今回見ていこうと思います。
まず関門トンネルとは

まず関門トンネルとは、山陽本線のうち九州の福岡県北九州市にある門司駅と本州の山口県下関市にある下関駅を関門海峡を超えて結ぶ全長約3.6kmの海底トンネルです。下関の「関」と門司の「門」が名前の由来とされており、貨物列車や普通列車など1日に多くの列車が行き交います。この関門トンネルは鉄道トンネルとして敷かれた世界初の海底トンネルで、完成した当時は「竜宮へ繋がる回廊」と呼ばれていました。
本州側と九州側で接続している路線の関係で門司駅にはデッドセクションが設置されており、関門トンネルには交直流電車でないと入線できません。また門司駅では鹿児島本線の門司港方面と分岐しています。

また関門トンネルには多くの種類があり、鉄道の関門トンネルのほかに人や自転車が通れる人道関門トンネル、国道2号線の関門トンネル、山陽新幹線が通る新関門トンネルがあります。

このうち人道、国道2号線、新関門トンネルは関門海峡のうち門司港や壇ノ浦近くの「早鞆の瀬戸」と呼ばれる場所に建設されたのに対し山陽本線の関門トンネルは巌流島が近くにある「大瀬戸」と呼ばれる場所に建設されました。
またこの関門トンネルは戦時中大量の物資を運ぶことを目的に、単線並列としてどちらの線路にも上り列車・下り列車を走らせることができるようになっているのも特徴です。
関門トンネル 建設の背景 -船舶輸送の限界と2回の挫折-

当時の九州鉄道が1891年に門司駅(現在の門司港駅)まで開通、山陽鉄道が1901年に馬関駅(現在の下関駅)まで開通したことを受け山陽鉄道は関門海峡間の連絡を図る目的で1898年より当時の終着駅だった徳山駅から山陽汽船商社を通じて徳山〜門司〜下関の3港を結ぶ連絡航路を開設。これにより関門間の鉄道同士の連絡ができるようになったほか、約3年後に鉄道が下関まで延伸されると航路は山陽鉄道直営になり、そしてその約5,6年後に山陽鉄道と九州鉄道が国有化されたため関門航路は国鉄が運営するようになりました。

この関門航路では貨車を船に積み込むなどで従来より輸送力が大幅に上がりましたが、旅客からすると一度船に乗り換えなければならないのは非常に不便なうえ、大雨などの際は航路が運休になるなど問題点が多々ありました。
ここで出てきたのが山陽鉄道全通前にも検討されていた関門間の海底トンネルによる鉄道連絡というもの。

1911年に一ノ宮駅(現在の新下関駅)から分岐し海峡の狭い早鞆の瀬戸に橋を架ける方法や鉄道車両を丸ごと船に積み込む方法や運搬橋を建設する方法が提案されましたが、この案が出された当時は各国で戦争が起こっており、橋を架けると爆撃されるリスクがあるほか、通行する船が多く潮流の激しい関門海峡に頻繁に船を走らせることは難しい…などの理由から関門間は海底トンネルを建設する案が採用されました。しかし第一次世界大戦や関東大震災の影響により建設は見送りに、関門トンネル予算も一旦削除されることになりました。
しかし関門間連絡の問題は無視することができず1925年に鉄道省が調査を開始、そして1926年より関門トンネルの着工が決定しました…が、1927年に昭和恐慌が発生。この影響により工事に着手することはできませんでした。

しかし1931年に関門間の貨車輸送が激増。関門海峡を通る船の本数や下関駅構内の拡大が難しいことから、貨物をこれ以上船で輸送するには限界が来ており、設備と船舶をフル活用しても数年後には行き詰まることが見えていたこともあったため、関門トンネル建設の声が再び上がるようになりました。

これを受け鉄道省は再研究を開始し「関門連絡線新設費」の名目で1,612万円の予算を計上、帝国議会でも協賛を得たため1936年についに関門トンネルが着工されたのです。
非常に厳しいトンネル内 -漏れ続ける海水-
このような背景で建設された関門トンネルですが、トンネル内部には非常に難しい問題があります。
それが塩害です。これは関門トンネルに限らず海底トンネル特有の問題ですが、海底トンネルというものは海底部…つまり海の下に建設されていることでトンネルの接続部や継ぎ目から海水が非常に漏れやすくなっています。さらに関門トンネルはトンネルと海底の間が非常に狭く、そのため関門トンネルでは1日に約500トンもの海水が漏れ続けているのです。

この関門トンネルから漏れ続ける海水に含まれる塩化物イオンは鉄道車両にも甚大な影響を与えます。塩化物イオンが含まれる海水が車両の表面に付着すると錆や腐食を引き起こし、車両の寿命を大幅に縮めてしまいます。

227系などステンレスで造られた車両は塩害にも強いですが、昔の電車は鉄製が多かったため、キハ66「シーサイドライナー」や381系「くろしお」など海沿いを走る列車は寿命が縮みやすい傾向がありました。

そこで国鉄は関門トンネル区間用にアレンジしたEF10形を投入。ED10形は丹那トンネル(熱海〜函南)開通に合わせ開発された形式で、関門トンネルの塩害対策として外板がステンレスに交換されたほか、パンタグラフに耐食アルミニウム合金を採用、また空転対策として粘着力の強化などが行われました。

この関門仕様のEF10形の登場に合わせて幡生操車場から門司操車場までの間の約10キロを直流で電化。当時九州の鉄道は電化されておらず、対岸の山陽本線も西明石までだったためこの関門トンネル区間のみ飛び地で電化されることになりました。
この約10キロの区間を走るためにEF10形が配置されたものの、関門トンネルの勾配はかなり急であったため、空転の対策として月20トンにも及ぶ大量の砂を撒いて走行していたほか、貨物列車も重連で運行するなどしていました。
関門トンネルの老朽化 -メンテナンスと今後-

関門トンネルの塩害の影響を受けたのは車両だけではありませんでした。前述の通り海水に含まれる塩化物イオンはトンネル構造物にある鉄筋コンクリートや金属部材を非常に腐食しやすいため、レールは通常の5倍もの頻度で交換、パンタグラフと接触する架線は激しい摩耗に対応するため硬銅線を2条並列に配置、照明設備や枕木も特別仕様のものを開発するなど、多くの対策を施しました。

また開通約80年を迎えた関門トンネルは1・2年に1度の坑内調査、変状調査、打音調査、年に3回の漏水量調査、10年おきに覆工コンクリートのコア採取…など沢山の調査で維持管理しています。しかし関門トンネルは意外にも全体的に健全な状態にあり、特に大きな変状はなく、コンクリートの圧縮強度にも低下は見られていないとのことです。

しかし関門トンネルは戦前に造られた構造物。日々のメンテナンスにはかなり苦労しているようで、今年(2025年)のダイヤ改正では10〜11時台の関門トンネル経由の普通列車の本数が削減、また時間帯によっては関門トンネル内で列車のすれ違いは行われていないようダイヤが組まれており、またその時間帯は片方の線路しか使わないなど少しでもメンテナンスの時間を増やすための苦労が伺えます。
現状のメンテナンスのおかげで関門トンネルは健全な状態を保てていますが、これ以上老朽化が進むとメンテナンス時間の確保も難しく、「関門トンネルの限界は近い」と思われます。しかし新しい関門トンネルを作るのにしても資金はどこから出すのか、現在の関門トンネルはどうするか…など、メンテナンスするにしろ、新しく作るにしろ、問題が多々あるのが現状です。
関門トンネルを潜り続けた”銀釜”と”パーイチ”
関門トンネルが開通した当初は電化区間が幡生〜門司のみで直流電化だったためEF10形でも走れましたが、戦後小郡(現在の新山口)〜門司が直流、門司港〜久留米が交流で電化され門司駅構内にデッドセクションが設置されると、従来と同じように直流機関車が九州島内に入れなくなる問題が発生しました。

そこで新たに開発されたEF30形を1961年より投入。EF30形は世界初の量産型交直流対応の機関車でとして門司機関区に配置され、置き換えられたEF10形は新鶴見や稲沢第二などの直流電化区間へ転属していきました。

このEF30形の特徴は銀色が輝く車体。車体にはEF10形と同様にステンレスを採用したのはもちろん、新たにコルゲーション加工を施して強度をアップさせたほか、機器箱類などにも黄銅などの錆びにくい部材を採用するなど徹底的な塩害対策が施されました。この特徴的な見た目から鉄道ファンの間では「銀釜」と呼ばれ愛されるようになりました。

EF30形はまず試験を兼ねて1号機を米原機関区に配置。九州と同じ交流60Hz電化の北陸本線で試運転を重ねたのち九州でも試運転を重ねて量産車が登場しました。
このEF30形は特殊な車両だったこともあり、運用は下関〜門司のみで、関門トンネルを通る全ての客車・貨物列車を牽引したほか、1964年か65年までの1年間だけ151系「つばめ」「はと」を牽引しました。また貨物列車の運用の関係で東小倉駅や幡生駅にも入線しましたが、基本的にそれ以外の区間に入線することはありませんでした。

EF30形が登場した約12年後の1973年からはEF81-300番代が製造。こちらもほかのEF81形とは違い、ステンレス車体にゴルゲーション加工を施したのはもちろん、砂撒き器や増粘着装置も取り付けられました。
なおこの300番代はEF30形とは違い重連総括制御機能を搭載していなかった(のちに搭載できるようになった)ため、貨物列車の運用にはあまり入らず、ブルートレインなどの客車列車の牽引をメインに運用されていました。

また1986年からはEF81-0番代を改造したEF81-400番代が登場。こちらも関門トンネル対策としてパンタグラフに防食剤が塗られたほか、屋根上全面には防食効果材が塗布されるなど、塩害を防ぐ工夫がされていました。また300番代と違い重連総括制御機能を搭載し重連での運用が可能に、これにより関門トンネル内で貨物列車を牽引する運用に就けるようになっていました。
この400番代は分割民営化後にJR貨物だけでなく、JR九州にも譲渡され、ブルートレイン「さくら」「富士」などに使用されたほか、一部が富山にも配置されました。

さらに1991年からは関門間の貨物列車増発のため、EF81-450番代が登場。この番代は前述の400番代の増備版として製造され、400番代と同じく重連総括制御機能を搭載したほか、ジャンパ栓は左右両側に装備するなどモデルチェンジが行われました。

このように関門トンネルを潜るためにモデルチェンジを施した多くの機関車が門司と大分に配置されましたが、1978年にEF30-1号機が廃車。その後もEF81形の転属や増備により数を減らし、1987年にさよなら運転として門司港→遠賀川→下関→門司で運行され、この時初めてEF30形は東小倉駅以西に入線しました。

また2000年代に入るとEF81形が老朽化してきたのを受け、2007年度よりEH500-金太郎が門司機関区に配置されるようになりました。
EH500形は老朽化が進んでいたEF81形の関門運用を置き換えたほか、1300t貨物列車の運用を可能にするなど、多くの活躍を見せるようになりました。また関門運用を追い出されたEF81形のうち初期車は廃車されたものの、ほかの車両は運用区間を拡大し、鹿児島(鹿児島県)や鍋島(佐賀県)、南延岡(宮崎県)にも入線するようになりました。

また2020年からはEF510-300番代が投入。北陸方面で活躍するEF510-0・500番代をベースに、交流回生ブレーキの搭載や、ライトのLED化などモデルチェンジが行われました。またこのEF510-300番代は車体に銀色を採用しているほか、番代も先代のEF81形と同じ300が付けられてるなど「銀釜」の3代目として相応しいデザインにされており、門司機関区の銀釜に対する強い愛を感じられました。

そしてこの「3代目の銀釜」ことEF510形の登場により九州の国鉄型機関車は次々と運用を離脱。EF81-300番代のうち最後まで残った303号機も2025年3月15日の70レで定期運用を離脱しました。
その後まれにEF510の代走として走る機会が何回か続きましたが、なんと4月18日、とんでもないニュースが飛んできました。
なんと北海道新幹線札幌延伸に使われるレールの初輸送に、EF81-303号機「銀釜」が充当されたのです。
これに鉄道ファンは大盛り上がり。記念すべきレールの初輸送のスタートを残り1機の銀釜がヘッドマークまで付け、北九州貨物ターミナルまでレールを安全に輸送しました。
関門トンネルを走る唯一の普通列車 -415系のいま-

関門トンネルはかつて九州と本州を結ぶブルートレインや特急が多く潜っていましたが、多くの列車が廃止された現在では415系が主役として走っています。
関門トンネルで運用されている415系1500番代は415系唯一のステンレス製で全車両が大分車両センターに所属しており、Fo1501、Fo1509〜Fo1521編成が存在します。このうちFo1501編成はK525編成として元々常磐線で活躍し、2009年にJR九州に譲渡されるという異色の経歴を持っています。

415系は主に関門トンネル区間(門司〜下関)で運用されるほか、鹿児島本線の普通列車や朝夕には区間快速や快速の運用に就くなど、多くの場面で活躍しています。
そんな415系で問題となっているのは「後継車」の話。

415系が通る関門トンネルは海水の漏れが酷いことで415系も非常に老朽化が進行しています。415系関門運用は1編成多くて18.5往復するため、何回も海水を受けることになります。このため2022年より以前走っていた415系鋼製車も廃車回送などの際に錆びが酷く目立つようになっていました。
前述の通り、415系が通る関門トンネルには門司側にデッドセクションがあり、この区間を通過する車両は交直流車両でなければいけません。
しかし関門トンネル区間を保有しているJR九州のほとんどの車両は交流電源のみ対応しているため、新たに新形式車両を開発・製造しなければならないのです。

しかしデッドセクションがあるとはいえ、交直流車両しか導入できないわけではありません。北陸地方の第三セクターであるえちごトキめき鉄道の日本海ひすいラインにはえちご押上ひすい海岸〜梶屋敷にデッドセクションがありますが、この区間は架線からの電気で動く電車ではなく、内部のエンジンで動く気動車を走らせることで高い交直流車両を導入せずに済んでいます。

さらにJR九州は丁度いいことに、蓄電池で走る「でんちゃ」ことBEC819系やハイブリッド気動車のYC1系を所有しているので、415系の置き換えにはこの形式を起用すればいいと思うでしょう。
しかしBEC819系では関門トンネル走行中にトラブルで自走できなくなったらどうするのか、YC1系では関門トンネルの湿った気候でも走れるのか…など様々な問題があります。さらに415系を置き換えるとなると、関門運用だけでなく415系が充当されている鹿児島本線の一部列車も置き換えなければなりません。このような問題が多くあることから、少なくとも既存形式で置き換えるのは難しいのではないかな…と思います。

また2028年度より大規模な車両の新造をすることを発表されており、これが415系置き換え用の新型車両か、783系なとの旧型特急車両の置き換え用の新型車両か注目されます。
まとめ
いかがだったでしょうか。
このように多くの問題を抱えている関門トンネル。戦前に作られた海底トンネルが今でも現役なのは凄いことではありますが、限界が近いのは確かです。しかし新しくトンネルを造ろうにも課題が多くあり、中々後継の話は進んでいません。さらに関門トンネルを走る車両などトンネル以外にも多くの問題が存在します。
この先関門トンネルはどうなっていくのかまだ分かりませんが、行く末をしっかり見守っていきたいと思います。
この記事を書いた人

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よく奇行に走ります
icon @Bashamichi_mm04
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