【引退】通勤型と近郊型を繫げJR型の基礎を作ったクルマ、E217系

みなさんお久しぶりです。乗り回す車輛は2100、月波さんです。

いや~ついに引退してしまいましたね。E217系。

ダイヤ改正を待たずに引退してしまうとは、少し悲しいものですが、車両のガタも来ているから仕方がないと思います。

さて、そんなE217系、意外と日本の鉄道史に残る素晴らしいクルマだったんですよね。てことで今回はそんなE217系についてのお話をしていこうと思います。

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イメージアップの第一人者

E217系は1994年に登場した武快速須賀線用の車両です。209系に続くJR型の車両、近郊型としては初のとして登場しました。

当時、総武快速線、横須賀線で運行されていたのは国鉄時代の113系。鋼鉄車体、セミクロスシートという、首都東京の通勤列車には似合わない、時代遅れのクルマでした。そんな車両を置き換える目的として開発、製造されたのがこのE217系だったのです。

1994年、今から31年前のことです。国鉄分割民営化が1987年のことですから、国鉄分割民営化後すぐのことといっても過言ではないでしょう。この頃は国鉄のイメージを払拭するための新型車両の投入などが全国で行われていた時期です。(西日本では223系などが投入されたのもこの時期です)
この車両もその波に乗り、作られた車両の一つなのです。

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113系の後継として

この車両は「近郊型」と区分されることが多いです。しかし近郊型とは元来、三ドア・セミクロスシートの車両を指すものです。しかしE217系は四ドアでほとんどの座席はロングシート。これを「近郊型」とはいいがたいようにも思えます。しかし、車両の定義というのは徐々に変わっていくもの、では、どのような経緯があったのでしょうか。

典型的な近郊型車両、211系(写真これしか見つからんかった)

1990年代に導入されたE217系、一部の座席はセミクロスシートですが基本はロングシート。どちらかというと通勤型に近いような車両なわけです。

この当時、総武快速・横須賀線の主力車輛は113系。211系と同じく典型的な三ドア・セミクロスシートの車両で運行されていました。しかし、総武快速・横須賀線は千葉や神奈川から東京都心までを結ぶ路線。要するに通勤路線なわけです。隣に総武緩行線が走っているとはいえ、利用者は速い種別に乗りたがりますから、総武快速線に客が殺到、横須賀線のほうも東海道線の補完としてかなり多くの利用者がおり、まさに痛勤地獄といった様子でした。

考えてみてください。大量の乗客が今の4つのドアではなく、3つのドアから乗り降りをする様子を…今でも大混乱に陥ることがあるのにさらにドアが一つ少ないのですから、スムーズな乗降など、あり得るわけがありません。そのため、発足当時からJR東日本は混雑緩和に力を注いできました。

しかし、総武快速線には別の役割もあります。

それが外房・内房方面への直通という長距離運用や成田空港へのアクセス列車、エアポート成田の運行です。これらの列車は一部の列車は総武快速線と一体運用が組まれていたので、近郊型のような側面も必要でした。そこで、E217系では一部の号車の座席をセミクロスシートにしたロングシートとセミクロスシートが混在する珍しいタイプの車両となったのです。

Sだけでなく、Mも

さて、唐突ですが皆様は横須賀線はS、東海道線はM、ということをご存じでしょうか?これは横須賀線と東海道線が東京~大船間で線路を共用していた時代にどちらの列車化を区別するために列車番号がSとMに分けられていたことに由来します。

現在では皆様ご存じの通り東海道線は川崎、横須賀線は武蔵小杉と線路が分離された、SM分離というのが行われ、車両も横須賀線はE217系、東海道線はE231系とこちらも分離が行われてきた2000年代初頭の出来事…

東海道線の113系もさすがに限界を迎えつつあり、さらに東北縦貫線計画も進行しつつあり、さすがに車両を更新しなければならない時期でした。そこでJR東日本が目を付けたのは湘南新宿ラインからの運用が消滅し、余剰が発生したE217系でした。

提供:こつあず鉄道チャンネル様

2004年、初期の3編成45両が国府津車両センターへ転属し、113系を置き換えました。このさい、E231系と編成を合わせるため、10+5の組成に組み合わされました。

その後輸送力増強のために一部編成が鎌倉へ戻ったり、その編成が戻ってきたり、開業120周年記念ヘッドマークが取り付けられたりと、少数派ながらヌマな活躍を見せた後、E233系の投入により、鎌倉車両センターへと転属、SとMを走る緑とオレンジの近郊型電車は幕を閉じたのです。

まぁ湘南新宿ラインだって逗子~西大井の間で横須賀線を走るんだからE231系だって当てはまるだろって言われたらぐーのねも出ないですけどね。

先輩として最後まで

2015年、山手線に登場したE235系、新たな時代の幕開けともいえるその車両が次に導入されたのは、総武快速・横須賀線でした。

2020年から投入が開始され、長らく主力だったE217系も当時の113系と同じく去るべく車両となりました。

E235系は約4年半をかけて基本編成49本、付属編成44本が製造され、E217系が31年目を迎えた2025年のダイヤ改正を目前とした2025年3月8日、惜しまれながらも運用を終了。鉄道ファンに課題を投げかけたまま、鎌倉の家にて隠居しました。

終わりに

さて、国鉄のイメージを払しょくするために誕生し、今も昔も最先端のようなデザインで駆け抜けたE217系。海外譲渡の話などもあったのですが、政府間の交渉決裂などもあり、立ち消えになってしまうという悲しい事態も起きてしまいました。今では多くの編成が長野や東京の解体線へと入ってしまいました。

首都圏を彗星のように駆け抜けた銀色の車体は過去のものとなってしまいましたが、私たちの記憶の奥底には深く刻まれた車両となることでしょう。

それでは今回はこのあたりで失礼しようと思います。最後までご精読ありがとうございました!

提供:方向幕量産者様

この記事を書いた人

月波 奏
月波ともうします。
鉄道と炭酸水が好きな人。
SNS系統初心者です。

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