
どうも、一応総武快速線ユーザーの中沢です。
さて、みなさん「E217系」という車両をご存知でしょうか?恐らくこの記事を読んでくださっている読者の方は既にご存知かと思われますが、横須賀線や総武快速線を走っていた青とクリーム色の電車でございます。

で、そのE217系の”最後の編成”が昨日…2025年6月25日に廃車回送されてしまったのです。これはどういうことかというと、E217系という形式が本日、2025年6月26日をもって消滅したということを意味します。もっと簡単に言うとしたら、E217系はもういなくなってしまったということです。
ということで、E217系との思い出をふりとれライターから募集しました。今回の「マツムシ車庫」はふりとれライターのみんなとE217系の思い出をご紹介して、E217系への”ありがとう”を伝える…そんな記事となります。
それでは、今回もよろしくお願いします。
(なお、この記事はメンバーの思い出を随時更新していきます。投稿直後はまだ反映されていない思い出もございますので、是非定期的にチェックしてみてください!)
憧れの「都会の電車」
スギ花粉さんにとっての「都会の電車」は、E217系だったとのこと。

幼稚園の頃から憧れの都会の電車だった。
運行情報がスクロールするLEDに自動放送、近未来的な前面形状。
1日1.5往復だけ地元にも乗り入れていて、見られるとテンションが上がった。
前面窓が高くて前面展望しづらかったのもいい思い出。無理して背伸びして市川のポイントで毎度吹っ飛ばされるw
身近なところを走っているけど、ほんのちょっとだけ遠い存在に感じた。
中学生になる頃に、置き換えが始まった。通学時にたまに見かける存在になって、少し距離が縮んだ気がした。ある年のダイヤ改正から、その列車はE235系でも運用されるようになった。
それから少しずつ、でも確実に見かける頻度は減っていった。
高校生になる頃に、E217系最後の1年が始まった。週末になると運用情報を確認して、手軽なところに撮りに行くようになった。この時はY-30ばっかりだったが印象に残ってる。Y-101がリバイバルした日は、たまたま学校にカメラを持って行っていて、なんとかカメラに収めることができた。
秋頃になると、本格的に運用される車両が減って、意識して狙って乗るようにした。ちょっとだけ硬いボックスシートに座って窓枠に頬杖ついて、窓の外を眺めていた。この頃になっても、憧れの都会の電車という印象は一切変わっていなかった。
冬の終わりが近づいてもそれは変わらず、最後の編成が本線上から姿を消すまで変わらなかった。
完全に姿を消した今、本当に憧れの、都会の電車になってしまった。
もう2度と見ることも乗ることもできないのは未だに信じられないけど、とにかく
ありがとう、E217系。
初めてのグリーン車はE217系だった
月波さんの鉄道趣味者としての人生において、E217系は関わりの深い存在だったそう。

緩行線の住民だった私にはあまり縁がなかったけど、駅を通過する快感や初めて乗ったグリーン車だったりと子供ながらに好きな車両でした。成長して知識もついてくると丸い車体と通勤型×近郊型のような車両という特性に惹かれ、さらに好きになりました。
そんな、私の鉄道人生に関わりのがかなり深い車両、今までお疲れさまでした。
滅多に乗ることのなかった快速電車
閑古模型さんからは、幼少期の思い出を頂きましたよ。

ちっさい頃、総武快速は滅多に乗ることのない路線だったので、E217に乗る時はすごくワクワクしていた。あの時はやれぼろっちぃだの汚ねぇだのは気にしてなかったなぁと…
西船橋で電車を待ってるとたまに通り過ぎる青帯の電車
クロスシート横の2人掛けロング(ロング……?)に親と2人で座ってた記憶も懐かしいあ……
とにかく、地元の電車といえばの面子に必ずいた車両でした。
いままでお疲れ様でした。
そしてありがとう。
東海道線とE217系の思い出
なんと、ゴハチさんと待合室さんからは東海道線時代の思い出も寄せられました!

東海道線を駆け抜けるE217系を見れたときは、ほんの少し嬉しくなったのを今でも覚えています
たった3本という希少性は、幼い私にはグッとくるものがありました
UTLの開業で、残念ながら古巣の鎌倉へ帰っていきましたが、コロナ禍のときに行われた湯河原疎開を1度だけ撮ることができたときは、色こそ違えど知っている東海道線が帰ってきたと本当に嬉しかったのを今でも覚えています
あと、ドクターイエローのラストランを浜松町に撮りに行こうとしたとき、偶然並走した横須賀線の電車がE217系だった時はびっくりもしたし、即決で乗り換えたのも良い思い出
結局これが最後の乗車になっちゃったなぁ

湘南新宿ライン時代・東海道線時代は狙って乗っていました。
四扉の近郊タイプというスタンダードを築き、首都圏の通勤需要に大きく貢献した車両でした。
長らくの活躍お疲れ様でした。
図鑑でよく見た「すっげーなげーやつ」
関西民のかさつさんからは、図鑑越しの憧れの話を頂きました。

E217は、個人的には、「図鑑でよく見る、なんかすっげーなげーやつ」というイメージでした。湘南新宿ラインを走るE231も同じ両数ですが、E217のほうが「すっげーなげーやつ」というイメージは強かったです。私自身スカ色が好きだからというのも関係してるのかな…?
まあいずれにせよ、地元の電車の2倍以上の両数を繋いで走るE217系に強い憧れみたいなものを抱いていたのは確かだと思います。
中3のとき、一度横浜へ行ったのですが、そのときに1度だけ、鶴見駅を爆走通過していく姿を見ることができ、とても嬉しかったことを覚えています。
一度でいいから乗りたかったです…
あと、この形式だけは、ずっとくたびれているイメージが自分の中でこびりついている気がします。それもそれでE217のアイデンティティというか個性というかだったのかなあとか。
顔の上側にまとめられた3つのヘッドライトと、独特な雰囲気を持った方向幕がすごく大好きでした。
お疲れ様でした。ゆっくり休んでください。
みんな、いつかはいなくなるんだ。
東北民のこづるしんでんさんからも、図鑑越しに見たE217系の思い出を頂きました。

一度も乗ったことはないし、見たことも結局なかったけど、それでも自分の中で思い出に残る車の一つです。車両図鑑で初めて見た時、なんだこの前面に方向幕がないのに高運転台(みたい)でスタイリッシュなやつは!と思いました。あんなのが可愛い4両から堂々15両まで組んでいたと聞くと今更ながら驚きです。
自分自身にとって、初めて経験した車両の引退もE217系でした。身近で騒がれてる奴も、いつかはいなくなる、そのことを学びました。
仙台の205だって引退ギリギリですしココの110、701や719だったいつまでいるかわかりません。それでも、今ある日常を精一杯楽しみたい、そんなことを217から教わりました。
改めて、217系、ありがとう
原稿を投げ出して乗りに行ったあの夜
最後はこの記事の筆者…俺の思い出で締めさせてください。

ずっと憧れていた。15両という地元北海道ではまず見られない長さの電車に、鉄道というものに触れたことがろくにないくせに漠然と憧れていた。
千葉への移住を果たした頃には既にE217系は「余命宣告」をされていて、山手線の色違いみたいなやつがいっぱいいて、217に乗れることはおろか見ることもあまりなかった。携帯の電池切れを理由にグリーン車を待っているとまるで当てつけかのように(コンセントがついていない)217が来たが、その時は乗れなくて歯がゆい思いをした。今ではこんなのもいい思い出だ。
11月のいつ頃だったか、そんな217の旧塗装が復刻されて走っているとの情報を見た俺は早く完成させなきゃいけない原稿があったのも忘れてバスへと飛び乗った。都合により千葉→東京…総武快速線区間のみの乗車となったが、一部区間の車内放送なんかも録れており原稿を投げ出した甲斐があったかもしれない。というか、あった。
俺の思い出は他に比べたら短いし、薄いかもしれない。でも、E217系への愛は確かにここにある。
今までありがとうな、俺にとっての「総武快速線」。
結論
E217系、今までありがとう!!

- 2025年6月26日関東甲信越【30年間ありがとう】ふりとれライターたちとE217系の思い出
- 2025年6月25日関東甲信越【ターボファイヤーSR】京成芝鉄車両図鑑#06 京成/芝鉄3600形
- 2025年6月24日関東甲信越【京成千原線VS埼玉高速鉄道】千葉と埼玉の高額鉄道で勝負だ!!
- 2025年6月23日関東甲信越【京成千原線VS千葉モノ】千葉市の高額鉄道2種で勝負しようじゃないか
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最後に乗ったのは、塗装が変わる前のY101だった、、
最後に乗ったのはY42+Y130のY42の方でした。グリーン車も一度だけ友達と成田空港に行った時に乗りました。当時最新の235に乗りたかったと当時は思いましたが今となってはそれが最初で最後のグリーン車だったのでいい思い出です。結局旧塗装は見れなかったし、学校があって廃車回送は見れなかったけど旅行に行く気分にさせてくれるいい車両でした。
細かく見ると製造時期、製造工場(中には大船工場製造の編成もいた)に違いがあって乗る人(鉄、子供)を楽しませてくれたE217系
2023年5月錦糸町の留置線で全てのタイプのE217系を見ることが出来たのを最後に乗る事も最期の挨拶も出来ず静かに形式消滅…
今までありがとう
お疲れさまでしたE217系