どうも、未成線オタクの中沢です。
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さて、この記事で「北千葉線」について軽く触れたと思いますが…一体、その北千葉線とはどんな計画だったのでしょう?今回はそんな北千葉線について、分かりやすく解説していこうと思います。ということで、今回もよろしくお願いします。
そもそも北千葉線って何?
北千葉線は、千葉ニュータウンと都心を結ぶためのメインルートとして千葉県が計画した「本八幡〜印旛日本医大」間の路線です。本当は印旛日本医大から先、成田まで計画されていましたが…後述の事情により頓挫しています。
本八幡から都営新宿線に直通することで、多摩ニュータウンと千葉ニュータウンを結ぶ予定「だった」北千葉線。一体なぜ過去形なのか、千葉ニュータウンと北千葉線、そして存在するはずの「サブルート」はどうなっていくのか。これから順番に説明していきます。
北千葉線の誕生経緯
昔昔(そこまで昔でもないが)、千葉北部にニュータウンを作る計画がありました。そのニュータウンと都心を繋げるために電車を走らせようという話になりましたが、計画規模から考えると必要な路線数は1.5路線だということがわかりました。
ですが…もちろん、0.5本の線路なんて敷けませんよね?もし仮に敷けたとしても、片側のレールがないので確実に電車が横転してまともになんて走れません。そこで採用されたのが、メインルートとサブルートで2つの鉄道を通すというものでした。
そのメインルートが北千葉線で、都営新宿線の本八幡から新鎌ヶ谷、小室などを通り印旛日本医大へと向かう予定の千葉県が運営する路線です。都営新宿線を経由して新宿や調布、そして多摩ニュータウンにも行くことができます。
…実は、北千葉線は印旛日本医大の先、成田までの路線として計画されていました。ですが申請時に国に却下されてしまい、印旛日本医大〜成田間は実質的な計画凍結となってしまったのです。
まあ何はともあれ、国への申請も無事通りあとは用地確保や建設を進めていけば…そう思っていました。
オイルショックの危機
なんと、1973年のオイルショックにより鉄道どころか千葉ニュータウン自体の開発が止まってしまいました。それでも何とか開業させなければと奮闘する千葉県とサブルートでしたが、なんと千葉県が用地確保で足踏みしている時にサブルートは既に用地確保を済ませていたのでした。
まさかのメインルートがサブルートに遅れを取っている状況。実は北千葉線の事業は県知事のお墨付き、流石に何とかしなければいけませんが…なんと1975年の選挙により県知事が変わりました。そしてその新しい県知事はこう発言したといいます。
我々は、この本八幡〜小室までの線を決して諦めていません。
…ん?知事、本八幡〜どことおっしゃったのですか?
この本八幡〜小室までの線を…
おい!小室から印旛日本医大はどうした!!
…ここから、北千葉線の運命は大きく変わってしまうこととなります。
サブルートからの追い討ち
もはやボロボロの北千葉線ですが、そこにサブルートが追い討ちをかけてきます。
県が自ら鉄道をやるのはお止めになりませんか?うちに任せて下さい。
どういうことですか?
うちに出資してくださるのが一番いい方法です!さあ、中に入っていらっしゃい。
果たしてこんな事を言ったサブルートはどこなのか。恐らくもうモロバレだろうと思われますが、北総開発鉄道です。
第三セクター的な鉄道にすることが鉄道建設の将来のあり方のひとつだと思いますので、県が北総に出資して下さい。なんなら人も送り込んでいらっしゃい。
わかりました。
なんと、千葉県は北総への出資と役員の送り込みを決定しました。まあ、そもそも小室〜印旛日本医大間を諦めているような現状ですし…この提案も悪いものではなかったのでしょう。
公団の参戦
ずっと千葉県と北総により進められてきた千葉ニュータウンの鉄道事業ですが、ここで新たな刺客が登場します。その名も宅地開発公団です。
公団はあくまでもニュータウンを作るための団体ですが、なんと鉄道を作る事も出来ます。そこで鉄道業の実績が欲しかった公団ですが、そんな簡単にいい感じの所が見つかるなんて事ないですよね…
…いや、ありました。北千葉線です。県はもう半ば北千葉線を諦めているような感じに見えますが、小室から先は北総ではどうにもできません。でもニュータウンが打撃を受けた今、県として建設を進めるのは難しい…と思っていたら公団が来た訳です。
その結果双方の意見が噛み合い、県は北千葉線を公団に譲り渡すことにしたのですが…運輸省はそれを良く思いませんでした。
北千葉線の計画が通るようにずっと懇願してきたくせに、たった数年で撤回しようとするなんて!しかも譲渡先は宅地開発公団だと!?認めん!!
と、運輸省は北千葉線の譲渡を認めませんでした。それには公団が建築省の管轄であることも絡んでおり、県と公団は悩んだ末小室を境に路線免許を分けることにし、本八幡〜小室は県が、小室〜印旛日本医大は公団が受け持つことにしたのです。その結果、
まあ、それなら認めましょう。
と運輸省も認めてくれ、北千葉線は小室を境に分断されることとなったのです。
北千葉線のその後
その後、宅地開発公団→住宅・都市整備公団に譲渡された区間は無事開業を果たし、北総との直通運転という形で千葉ニュータウンと都心を結びました。
…しかし、県が持ったままの残りの区間は事実上計画凍結状態となっており、都心とニュータウンを結ぶのも北総と公団がやってしまったので北千葉線を整備する必要性もなくなり、ずっとそのままにされてきました。
北総と被る新鎌ヶ谷〜小室を抜いた区間で第三セクターとして復活させる計画も一度は出ましたが、北総でさえ莫大な赤字を抱えて高額鉄道になっている現状。もしこの計画が実現したら、成田空港への新ルートとしてお墨付きまでされている北総に莫大な影響が出るのは目に見えています。北総に影響が出るということは、公団に譲渡した小室〜印旛日本医大まで巻き添えということです。しかも北総や公団の問題を抜きにしても赤字が解消するまで少なくとも40年以上かかるなどの問題もあり、結局頓挫しました。
こうして、2014年3月31日の「東京10号線延伸新線促進検討委員会」の解散をもって、北千葉線計画は終わりを迎えたのでした。
現状
都営新宿線・本八幡駅のトンネルの車止め側には、まだ掘れそうな感じの壁が佇んでいます。
公団に譲渡した小室〜印旛日本医大は、公団の鉄道事業撤退により現在は「千葉ニュータウン鉄道」という会社が所有しています。小室〜千葉ニュータウン中央の間が半ば無理やりな線形をしているのは、元々全く別の路線として計画されていた名残です。
また、今年3月のイベントでは小室〜千葉ニュータウン中央の間に位置する未成駅「谷田」に停車する光景も見ることができました。この谷田と千葉ニュータウン中央〜印西牧の原の間にある「印西天王前」は、千葉ニュータウンの規模縮小に伴い建設されなかった駅です。一応計画自体は残っているとか…?
結論
本八幡のカベの向こうには、広大なラーバン・シティ…千葉ニュータウンが広がっていた。
もし本八幡や北総線を訪れる機会があれば、そこにあるはずだった北千葉線の事を考えてみるのもいいかもしれませんね。
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この記事を書いた人
- 千葉ニュータウンと鶴見線に対する熱量が異常な札幌出身千葉寺民の未成駅オタク
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