
こんばんは、今日も1日お疲れさまでした。
辰野線の記事を書いた後に実際に辰野線に乗ってきました。この記事を書いたのが半年前だったんです。許して。
すごく大自然の中にある路線で、天竜川・横川川どちらの川沿いもとても心地がいい路線でした。いいデジタルデトックスになる路線。気持ちが良すぎてボックスでちょっと寝ちゃってました笑
乗車率的にはそこそこよく、各駅からお客さんが乗ってきました。ここら辺を見ると「電車が来るときは乗る、松本までのバイパス路線」といった形でした。逆に途中で降りるお客さんが1人もいなかったのが印象的でした。
さて、話は変わりまして、辰野線の辰野駅で接続する「飯田線」と辰野線の塩尻駅で接続する「中央西線」。飯田線と中央西線は「中央線西側ルート」の覇権をめぐって争っていたことは有名な話ですが、そんな両線を結ぶ「ある路線」が計画されていたのをご存じでしょうか。今回はそんな路線にスポットを当てていきたいと思います。
中央線の覇権争い

中央線の「西側」ルートには、現在の中央西線のルートとなる「木曽谷」、現在の飯田線のルートとなる「伊那谷」の2ルート案が考えられていました。
工事費用や当時の技術を考慮すると、「伊那谷」ルートの方が有力視されていました。現在の飯田線を見ればわかるように、何度も何度もトンネルを掘る必要がありません。こっちのほうが簡単です。
しかし、結果は皆さんがご存じの通り”木曽谷経由“でした。最大の理由として「中央アルプスを越えるトンネルを作るほどの技術がない」ということ。飯田あたりまでは作ることができても、そこから先が作れなければ意味がありません。というわけで、木曽谷経由が採用されました。何度も掘らない代わりに、一度長大トンネルを掘らないといけなかったんですね。
一方、木曽谷経由に不服を呈したのが「伊藤大八」。せめて途中のルートを伊那経由にしてくれ、ということで急遽「辰野周りの中央東線」が開業します。
もちろん、塩嶺トンネルを掘る技術がなかった、というものも上げられますが…。
飯田線については、このころ中央本線のメインルートが辰野経由だったため、今よりも辰野駅止まりが多かったことが特徴。ですが、当時から小野方面に直通する列車は存在せず、やはり直通しても岡谷や茅野だったようです。
ちなみに余談なんですが、飯田線の119系自体は小野経由・新線経由で塩尻まで営業運転をしたことがあるらしく…。小野経由は「123系」が出てくるまでのピンチヒッター、新線経由は「諏訪湖花火大会」の臨時列車の関係だったらしいです。東は富士見まで乗り入れ。なんかすごい車だな…。
そんなこんなで整備された飯田線と中央西線。中央西線は一部区間を除き、名古屋側から建設されたため、西線は名古屋側が始発になっていることがあります。
当時、中央西線は非電化でした。一方の飯田線側は元が私鉄だったため、電化が比較的早く、実は国鉄編入前にはすでに電化されていました。つまり、中央西線が非電化の時代にすでに電化されていたんです。国鉄の飯田線内完結列車に気動車が入ったという話が無いのはこれが要因だったり。
しかし、飯田線は「4つの私鉄が合併してできた国鉄路線」ということもあり、駅数がとても多いのが特徴。そのためか、所要時間が通常の時間の何倍にもなっているのが問題として挙がっていました。

また、伊那は諏訪・茅野・富士見と同じく「南信」と呼ばれる地域に属し、文化圏は名古屋に近く、同じ長野県内でも「北信」(長野市)・「東信」(佐久市)・「中信」(松本市・木曾町)とは大きな違いを持っています。
そのため、名古屋との連絡網は整備されている、かと思いきや、急行伊那号(当時の名古屋対飯田の速達列車)ですら4時間半かかる始末。これでは「名古屋と伊那」は言葉や文化が同じなのにとても遠い存在になってしまい、とにかく不便でした。
そこで考えられたのが、「中津川線」です。
あくまで「バイパス線」

中央西線の「中津川駅」から飯田線の「飯田駅」を結ぶ予定だった「中津川線」。当初、中央西線側の接続駅は、長野県の木曽町にある「南木曽駅」となっていました。
中津川線は、「中津川 – 美濃落合 – 神坂 – 昼神 – 阿智 – 伊那山本 – 伊那中村 – 飯田」の8駅 約36 kmの路線でした。飯田線は電化済、中央西線も電化する予定だったため、中津川線も電化開業する予定で建設。トンネル高さが電装工事を行える高さであったりなど、今までの路線とは違った計画となっています。
日本鉄道建設公団によって計画されたこの路線。日本鉄道建設公団によって建設された路線はこのほかに、東京外環状線(武蔵野・京葉線)や上越新幹線、湖西線などが存在します。
湖西線と同じく、あくまで中津川線も飯田線の速達版。とは言いつつ、阿智駅などの設計が盛り込まれていたので、線内完結列車も視野に入れていたのかもしれません。
なお、中津川線経由での急行伊那号は2時間ほど早く到着する、という試案が出ていたぐらいなのだとか。豊橋をぐるっと回るより、名古屋からシンプルに北上した方が速いですものね。
新幹線の影

ところで…。日本鉄道建設公団、と聞いてピンときた方もいらっしゃるかもしれません。あの三陸リアス線の原型を作った公団です。国鉄とは別団体だったのですが、地方の採算が取れるんだか取れないんだか微妙な路線も建設をしてしまい、それらをすべて国鉄に押し付けるという形をとっていました。つまり、赤字路線を作り国鉄に押し付ける、桃鉄で言うところの「ボンビー」のような存在でした。路線作って押し付けるねん!
中津川線は1961年に国鉄が予定線(今から建設する路線)に指定。64年に日本鉄道建設公団に移管され、工事実施計画認可を得て、67年に建設が開始されます。
しかし、1970年代になると一気に工事の進度が低下。鉄道が欲しい鉄道が欲しいと嘆願していた地元の士気もだんだん下がっていきました。
そして、ついに1973年。現在のリニア新幹線となる「中央新幹線」の計画がスタート。経路の途中、長野県と岐阜県の間の経路はまさかの「中津川線とほぼ被るルート」で建設されることが決まります。そこに追い打ちをかけるかのように、1975年に中央自動車道が開通したことで、地元の士気はさらに低下。別に新幹線で良くないか、ということになり、採算が取れなくなっていた国鉄を何とか治すための最後の頼み、「国鉄再建法」が制定された1980年8月に中津川線の建設は凍結されました。
遺構とまさかの副産物

サムネの中津川線建設計画図に、ピンク色の線で「中央自動車道」のルートを照らし合わせたもの。ほぼほぼルートが被っており、そりゃ中津川線計画は凍結になるよな、ということがうかがえます。
中津川線は一部区間のトンネルや橋梁・盛り土などが整備されて凍結されたため、今でも遺構をうかがうことができます。
先駆者が遺構の位置を調べていたため、ここでご紹介させて頂こうと思います。ありがとうございます。
この盛り土と、盛り土の左側にある山の中にある謎のトンネルらしき空間…。そう、これが中津川線の「二ツ山隧道」と、その先にある盛り土と呼ばれている場所なのです。
小海線あたりにこんな光景があったようなないような。笑
また、鉄道が建設されたことによる副産物…もとい”いいこと”も生まれていました。
昼神、という地名を聞いてピンときた方もいらっしゃるかもしれません。そう、昼神温泉です。
1973年の中津川線 神坂(みさか)トンネル掘削中に湧き出した源泉がありました。この源泉を利用し、長野県屈指の温泉郷にしたのが昼神温泉。鉄道建設工事を行う途中に湧き出た温泉を利用し温泉郷を作る、しかし当の鉄道は開通しなかった…。鉄道ファンにとってみれば、なんか少し複雑な気持ちになる温泉ですね。
そんな昼神温泉、神経痛や筋肉痛のほかにも「美人の湯」として知られているそうです。ph値は9.7。日本屈指のアルカリ温泉としても有名とのこと。日頃の疲れを癒しに、飯田線に揺られて行ってみるのもいいかもしれません…!と言いたいところなのですが、阿智村ホームページには「松本駅まで来てから、高速バスで阿智村に来てください」とのこと…。
調べた感じ、飯田駅から昼神温泉郷までのバスが1日に2本しかないようで、高速バスの方が圧倒的シェアを誇るそう。うーん…。
おわり
今回は中央本線関連では珍しい、未成線の中津川線について軽く触れてみました。この路線ができていれば、今の飯田線もちょっと変わった路線になっていたのかもしれません。
ちなみに、中津川線で建設された路盤の一部は、現在国道153号・国道256号のバイパスとして再整備され、利用されています。長野・岐阜県民の読者さん、もしかしたら気が付かないうちに通っていたかもしれませんね…!
このほかにも、現在の阿智の里ひるがみは昼神駅予定地、中津川温泉クアリゾート湯舟沢は神坂駅予定地と、いろんなところに遺構が残っている中津川線。あと5年計画が早ければ、現在でもにぎわう温泉路線として、長野県の鉄道路線に名を連ねていたかもしれません。
今回の記事はここまで。最後までお読みいただき、ありがとうございました!
Thanks
参考文献として、以下の記事が役に立ちました。中津川線、自身も名前だけ聞いていたレベルだったのであまりわからず…笑
調べれば調べるほど面白い路線でした。皆さんの地元にも、もしかしたら「計画された路線」があるかもしれません。
また、中津川線のほかにも、辰野駅ルートがまだ本線だった時代の飯田線運用を記録しているサイトがありました。今と結構違う運行形態に驚き…。
- 晩年眠いので記事の信憑性はないかも(適当)
- 2026年3月31日中央本線(信越)飯田ヨリ分岐シテ中津川二至ル幻ノ中津川線
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