【架空鉄・洛嶺電鉄制作記#5】路線網の確定〜丹後エリア編〜

皆様こんにちは。杉山英澪です。今回は、洛嶺電鉄の路線点描の第四弾、丹後エリア編です。この丹後エリアは、そもそも人口が少なく、それに見合った鉄道路線を考えなければなりません。また、奥丹電鉄の「奥丹」は丹後国の略称の一つです。そのため、しっかり考えていこうと思います。

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路線点描

出石神社前〜但東中山

この区間は1928年開業と、奥丹電鉄の中ではかなり古くなっております。故に、カーブもかなり多めで、線形は悪いです。しかし、人口もそれなりにあるため、本数は普通列車だけで毎時1-2本と、やや多めです。


但馬本線(前回の路線点描でご紹介した路線)と出石神社前駅で分かれると、出石の市街地へむけて南下していきます。そうして、谷山川(出石川の支流で短い)を右手に臨むと、出石駅に到着します。この出石駅は、出石鉄道の同駅よりも出石市街地に近く、それが(この世界線における)出石鉄道の廃止の要因となっています。

出石を出発すると、列車は山の奥深くに入っていきます。出石の街並みが尽きると、列車は大きくカーブし、有子山城の跡がある城山の南端をトンネルで貫きます。そうして列車は、次の日野辺駅に着きます。日野辺を出ると、左手に山を臨みながら、次の停車駅・寺坂に着きます。この寺坂駅は、かつては出石町と但東町の境目付近にありましたが、今はどちらも消滅し、豊岡市内のごく普通な駅となっています。

寺坂を出ると、いよいよ旧但東町のエリアへと入っていきます。まずはじめに出石川を渡り、すぐトンネルに入ります。ここから先は、一気に平地が少なくなります。そうして、トンネルの出入りを繰り返して着くのが、出合駅。この駅は、かつてはJTB時刻表において、但東町の代表駅でしたが、利用実態的には、この出合駅よりももう少し先に登場する、但東中山駅の方が代表駅に即していました。そして、出合駅を出ると、またまだ川に沿って北上し、唐川駅に着きます。

唐川を出ても列車はなおも川と並行しますが、この川の名前は太田川。出石川ではありません。・・・太田川か、推しの名前が思い浮かんでくる()

そうして、列車は但馬太田駅に到着です。本当に山が深いエリアに入ってきました。但馬太田を出てしばらくすると、列車は右へカーブします。今度は左カーブ、そして左カーブ。つまり半回転したわけですね(笑)。そうして、列車は但東中山に着きます。山を回避するためこのように大きくカーブしていますが、なぜトンネルで貫かずこうしているかと言うと・・・自分でも分かりません。制作したときにはしっかりした理由があったのかもしれませんが、今は分かりません。

但東中山〜丹後峰山

ここから先、新峰山駅までは、1971年に開業した新しい区間で、線形もかなり良好です。


但東中山を出ると、列車は出石川・太田川とついに分かれ、丹後地方へと向かいます。坂野駅を出ると、すぐにトンネルに入ります。こちらが、尉ケ畑トンネルであり、但馬と丹後の境目でありました。実際、国道のトンネルは「たんたんトンネル」(但丹or丹但トンネル)という名前となっています。 そして、この長大トンネルを越えるとら旧丹後国最初の駅、尉ケ畑駅に到着します。ここから一瞬、旧久美浜町をかすります。

尉ケ畑駅を出ると、山を下り、丹後佐野駅に到着します。このあたりは久美浜の中でもかなり山奥の方で、多くの方に知られている、多くの方に抱かれているイメージの久美浜とは違います。しかし、このあたりには佐野城跡や円頓寺など、ややマイナーながらも奥深いスポットも多く、是非訪れることをおすすめします。

丹後佐野を出ると、いよいよ列車は最後の山越えに挑みます。徐々に標高を上げていき、列車は比治山峠をトンネルで貫きます。そうして、それを越えると旧峰山町のエリアーに入っていきます。旧峰山町の最初の駅は二箇駅で、このあたりにはそれなりの数の城跡があります。二箇城跡、五箇城跡、鱒留城跡などは、皆この駅が最寄りとなっています。

その後は、少しずつ開けていき、出石以来のかなり大きな街に出ていきます。左手には小さいながらも集落があり、右手には青々とした田畑が広がっています。そうして、トンネルで小さな山を越えると、新峰山駅に到着です。但東中山からこの新峰山までのおよそ20kmが、戦後建設の新線区間です。

丹後峰山〜間人

丹後峰山を出ると、列車は高架区間に入り、北近畿タンゴ鉄道宮津線の線路をまたぎます。そうして、高架上に作られた新峰山駅に着きます。かつては、こちらの新峰山駅の少し先(間人寄り)にある峰山信号場と国鉄の峰山駅の間に連絡線があり、臨時列車のみですが直通を行っていまた。こちらの連絡線は、1970年に利用が停止され、1982年には完全に撤去されました。その後列車は竹野川に沿って海へと向かっていき、吉沢駅に着きます。ここから先は旧弥栄町のエリアに入っていきます。

吉沢駅を出ると、列車は左へとカーブし、旧弥栄町の中心部に近づいていきます。そして、列車は弥栄和田野駅に着きます。この駅の所在地は京丹後市の弥栄町和田野ですが、かつて町役場のあった弥栄町溝谷へもそれなりに近く、優等列車も止まります。同駅を出ると、丹後黒部駅に着きます。この駅のすぐ近くに、銚子山古墳と呼ばれる5世紀に作られたとされる古墳があります。この古墳は、京都府の指定史跡にも指定されており、墳丘や周濠が良い状態で現在まで保存されています。

丹後黒部を出ると、一旦土地が狭隘になります。そのため、この先はトンネルもそれなりにあります。そうして、川のすぐそばまで迫った山をトンネルで貫き、列車は成願寺駅に着きます。実際に駅の近くには成願寺という名の寺院があり、そちらは麻呂子親王の「七仏薬師伝説」の寺の一つとも言われます。麻呂子親王の鬼を退治するという願いが叶い、薬師如来像を彫りこの寺に祀ったことから、このような名前がついたと言われています。

成願寺駅を出ると、列車は北へ北へと最後の走りを見せます。竹野川を渡り、大山地区を左手に臨みながら進むと、それなりの長さのトンネルが見えてきます。これが「間人トンネル」で、このトンネルを抜けると、間人たいざの街に滑り込みます。間人は小さな港町といった印象です。停車直前に海を右手に臨み、終着・間人駅に到着します。ご乗車お疲れ様でした。

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まとめ

これで、丹後エリアの路線、そして奥丹電気鉄道の路線が決まりました。いかがでしたか?個人的には、丹後地方にはやや小規模な町が点在しているな、と思いました。経由した市町村も、今でこそ豊岡市と京丹後市のみでしたが、2004年4月以前は但東町、久美浜町、峰山町、弥栄町、丹後町と、かなりたくさんありました。丹後地方に全く縁のなかった私ですが、「魅力についてあまり分からなかったが、丹後地方は面白いと分かったし、是非行ってみたい」と思うようになりました。

次回は路線点描の第五弾。福井エリア編です。えちぜん鉄道の路線に、無理やり新路線をぶち込んだと言っても過言ではありません。なかなかカオスなことになりそうですね(笑)。それでは、このあたりで終わりにしたいと思います。ありがとうございました。

To be continued…

この記事を書いた人

杉山英澪
杉山英澪
明石生まれ・奈良育ち・守山住みの学生架空鉄。東海エリアや架空鉄関連の記事を中心に書いています。心の中はいつも東海市。全力で知多娘を推しています。

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