夏休みも終盤戦。小学生の夏休みに残りがちな宿題といえば、やはり読書感想文。もう何年も前ですが、自分も小学生の頃、読書感想文は自由研究よりも後に回していた難敵です。課題図書で書かされる地獄のようなものもあれば、自由図書という、まだ救いのあるものもあります。私の場合は後者、どんな小説の感想を書いてもOKでした。
ところが、なぜか普段から読まないような小説を選んでしまうのです。(そもそも小説なんて小学生は読まないのです。)あまり読んだことのない小説のジャンルで感想文を書こうとしても、字数は稼げず。結局は作品の要約、ネタバレ注意になってしまうオチです。
そんな私ですが、今になって後悔しています。当時、私がよく読んでいた小説といえば「鉄道ミステリー」。具体的にいえば、西村京太郎トラベルミステリーでした。どうして、これを感想文の題材に選ばなかったのでしょうか。これを読んでいる皆さんは鉄道ファンでしょうし、もしかしたら読書感想文に追われている小学生もいるかもしれません(多分いない)。ということで、今回は読書感想文風に書いていこうと思います。(ネタバレあり)
選んだ題材は
トラベルミステリーといっても西村京太郎先生の作品は沢山あります。小説の長さも作品によって様々。ここでのポイントは、あまり長くない作品を題材にすることです。書店や図書館で「十津川警部捜査行」と書かれたものを探してみましょう。比較的短編の作品が4~5作収録してあります。長すぎないくらいが、トリックも簡単なので書きやすいのです。長い作品で読書感想文を書くと、途中で人間の殺し方を語ることになってしまいます。
私が今回選んだのは、「十津川警部捜査行 東海特急殺しのダイヤ(実業之日本社)」に収録されている作品です。
タイトルは「幻の特急を見た」、鉄道ファンの私にとっては心が躍るタイトルです。
読書感想文風「幻の特急を見た」
私が題材に選んだのは1983年に執筆された西村京太郎氏の作品「幻の特急を見た」です。1983年という情報はこの作品のカギになる非常に大切な情報となるのであえて表記します。
1982年のある日、宝石商の富豪が殺害されます。捜査線上に浮上した容疑者は二人。別居中の配偶者と被害者の秘書の男性。捜査を進めてゆくと秘書の容疑が濃くなり、事情聴取。秘書はアリバイがあると主張します。そのアリバイとは、
「富士川で特急電車を見ていた。」
この作品は他の十津川警部シリーズとは少し違って、鉄道トリックが犯行に使われていないのです。よくある十津川警部シリーズは、時刻表トリックや車両の特性、巧みな乗り換えによって人を殺すというもの。でも今回は思わぬ濡れ衣を着せられた秘書が主張するアリバイに鉄道が関係しています。
富士川で特急電車を見た、と十津川に訴えかける秘書。その時刻まで思い出した秘書は「これで疑いが晴れる」と思ったことでしょう。読んでいた私も、真犯人は別にいるのかと既に考えだしていました。しかし十津川は疑いの目。時刻表を見るとその時間帯に特急電車は走っていませんでした。国鉄に確認したところ、その日は遅延もなかったとのこと。秘書は「臨時列車だったのかもしれない」と口にします。ところが、臨時列車の線もありませんでした。さらにここで秘書から衝撃の供述。なんと、その特急電車の幕には「ひばり」の文字があったというのです。
これには私も思わず笑いがこぼれてしまいました。すぐにバレる嘘をついてしまったな、もう犯人で確定だろうと思ってしまいました。なぜなら、特急「ひばり」号は東北の特急列車だからです。秘書がこの列車を見たのは富士川、つまりは静岡県です。東北の特急が静岡県の富士川を渡ることはあり得ません。もしかしたら、見間違えなのかもしれないと考えましたが、似た名前の特急はなく、そもそもその時間に特急が無かったのだからやはり嘘ということなのでしょうか。十津川は馬鹿にされたと思い、怒り心頭。聞く耳など持ちません。
鉄道ファンの私はここであらゆる可能性を探ってしまいます。当時の特急なら大体はベージュに赤の特急色のはず、気動車や急行列車を見間違えたのではないか。しかし、秘書は「ひばり」に対する自信が大きく、ますます混乱してきてしまいました。
あまりにも自信満々に供述する秘書は十津川と一緒に富士川に行くことになりました。「そんな特急は現れることはない」とすっかり思い込んでいる十津川はこれで何も現れなければ秘書を殺人容疑で逮捕する、そんな勢いです。結果は、秘書の言った時刻ちょうどに、「ひばり」と表示した特急電車が現れました。この状況をなかなか十津川は受け止められずにいます。
果たして何が起こったのか。十津川がすぐさま問い合わせた国鉄の答えを聞いて、私は一種の感動を覚えました。それはこの物語の書かれた年、1983年に関係があったのです。
富士川で見た「ひばり」の正体は仙台電車区所属の485系特急電車。紛れもない「ひばり」の車両でした。なぜ、仙台電車区の車両が富士川を渡ったのか。その理由は「広域転配」でした。作品が公開された1983年、そしてこの物語の設定である1982年は、ちょうど東北新幹線が開業した時期にあてはまります。それまで東北と東京の動脈を担っていた特急「ひばり」の車両、485系は九州地区などへ転属させられることになりました。485系は交直流対応、3電源対応の車両だったために、その転属先までの回送は自走が一般的だったようです。回送列車ではあったものの、国鉄のサービスとして、転属前の列車の愛称幕を出して運転することが多かったために、今回のようなことが起こったのでしょう。
この作品は最後に十津川が、もしこの列車が現れなかったら、回送が今日でなかったら、無罪の秘書を逮捕してしまっていただろう、と恐怖を覚える様子が描写されています。十津川警部シリーズのなかには、時刻表トリックなど、犯行を再現できるものもあります。作者の西村京太郎氏も、列車に乗っていると、「この時間で人ひとり殺せるな」などと考えることがあるようでした。しかし、この作品はやはり違って、2024年にはアリバイを証明できないのです。秘書のアリバイは、485系の転配回送を見た以外に存在しないので、これは1982年、1983年頃にしか適用できないアリバイなのです。私は時代背景が重要なカギを握るアリバイも非常に面白いと感じます。いつ走るかも公には分からない転配回送のみがアリバイを証明できる、という点がいざ読み終えた時の妙なドキドキ感と安心感を演出しているのだろうと思いました。
加えて、この作品はいささか鉄道マニア向けで上級者向けのように思えました。これは一般の人が読んでも分かりやすい時刻表トリックではなく、「広域転配」というものへの理解ができないと完全消化できない作品です。鉄道マニアとして真っ向から読んでいくことでようやく、面白さを見いだせるところが、より自分にとっては楽しい推理小説です。
解説とあとがき
さて、いかがだったでしょうか。あくまで、読書感想文〝風〟ということで、ご容赦いただきたいですが、これで2,039字。一般的な原稿用紙では5枚半ほどになります。書き過ぎました。これを読む担任の気持ちになってみると大変気の毒でなりません。途中からは485系の広域転配…でも良いんです。読書感想文なんて、自分の感想が入っていれば良いのです。よく「読書感想文の書き方」なんてありますが、感想をかけばいいのです。堅苦しく書く必要もないし、自分の気持ちだって、「主人公が身近に感じました。」なんていう定型文を書く必要もありません。
この作品のトリックは「広域転配」でした。これをトリックにした西村京太郎先生はさすがとしか言いようがありません。広域転配、それも全国レベルの転配劇は国鉄時代だからこそできた技です。北海道も、本州も、四国も九州も、全てが同じ会社だった国鉄時代には可能だったのです。特に、1980年代初頭の485系大転配はとくに有名で、三相交直流電車ならではの回送運転ができたのですね。国鉄最後の広域転配は103系、東京から大阪への転配が盛んにおこなわれていました。JRに分割民営化後は全国的な広域転配は見られなくなりましたが、205系(トウ)の転配は東日本管内で広く行われました。
もしも、2024年に似たようなシナリオを作るなら、疎開回送くらいしか利用できませんね。湯河原で横須賀線の車両を見た!それくらいしか思いつきません。
ただ、現代なら「富士川 ひばり」とツイッターで検索すれば撮り鉄の一人や二人が投稿しているのが引っ掛かるでしょうから、簡単に秘書のアリバイが証明されてしまっていたでしょう。「幻の特急を見た」という作品が成立するのはやはり昭和だったから、なのでしょう。
読書感想文がまだ残っているなら、鉄道ミステリーなんていかが?
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大丈夫だ。私は小学生だ。しっかり読まれている。