
前回に引き続き路線点描です。今回は丹波エリア編です。今回の丹波エリアは、前回の京都エリアとは異なり、人口がかなり少ない山がちなエリアとなります。果たして、どんな路線が仕上がってくるのか、自分でも楽しみであります。
路線点描・丹波エリア編
丹波本線
亀岡〜篠山


湯ノ花温泉以西で一気に標高を上げますが、それ以外に特に変わった点はない、田園風景が広がる区間と言っても良いでしょう。なお、この勾配はギリギリセーフであると判断しました。

ちなみにトリビアなのですが、この洛嶺の東本梅駅は、今は亀岡市にある駅ですが、はるか昔は別の村にある駅でした。それはどこかというと、東本梅村・・・ではなく、宮前村でした。地図で見てみても、東本梅と宮前の境目にありますね・・・。こういう「沼」な設定を考えるのも面白い。
さて、列車は天引峠超えの準備運動を行います。

断面図はこんな感じ。

一部区間が荒ぶっていますね。この区間ではトンネルでその山をぶち抜いているわけです。そして、列車は天引峠を越えます・・・。

並行している旧国道がだいぶ荒ぶっているのに対し、洛嶺はそれを無視し駆けていきます。この新天引トンネルの開通は2003年ですので、それまでは京都〜丹波エリアの輸送は洛嶺の独壇場といっても過言ではなかったのかもしれません。

天引峠を越えれば、もうそこは篠山盆地の東の端。そして、広い広い丹波篠山市となります。この沿線に、日本屈指の難読地名「安口」があります。安口駅を是非設置してみたかったところですが、同駅を設置した場合、福住駅とかなり近くなる恐れがあったため、その案は潰えました。また、亀岡〜篠山間の沿線には、観光地もそれなりに点在しています。以下のリストに列挙してみます。
- 湯の花温泉
- 瑠璃渓
- 日置のハダカガヤ
- 八上城跡
- 篠山城跡
湯の花温泉は、同地周辺で採掘できる菫青石という鉱物が熱水変質を起こし雲母化した、天然記念物の鉱物桜石の霊力によって封じられた鬼の涙が湧いたものだとされています。古文書には、戦国大名が傷をこの温泉で癒したという記述があり、伝説の湯となっています。瑠璃渓は、明治から昭和初期にかけて、様々な文人や墨客たちの訪れた場所として知られており、富岡鉄斎も「千尺蒼巌周囲 一条懸水向天飛 幾回欲写無成功 恰入宝山空手帰」という歌を詠んでいます。日置のハダカガヤは、国の天然記念物に指定されており、世界唯一の「実に唐がなく、渋皮だけが存在する」カヤであるそうです。

Googleマップより撮影しましたが、正直凄さはあまり分かりませんね()
八上城跡は、丹波波多野氏の本拠となる山城で、明智光秀の丹波攻めの一環として、この城を包囲したこともあります。続いて、篠山城跡は、そんな八上城を廃城にしたような存在です。

1608年の築城以来、山陰道の要衝の地・篠山にあり続け、1871年に廃城となるまで、篠山藩の拠点などに使われました。以降も、丸御殿大書院が篠山尋常小学校の校舎として使われるなど、地域に根ざしてきたのがこの篠山城なのです。
話はそれましたが、歴史の構想上、清水五条から篠山までがこの丹波本線の第一期線として開業した設定となっています。
篠山〜和田山

丹波篠山駅を出ると、城の北側の市街地を通り、旧西紀町へと駆けていきます。県道410号線に沿って西へ向かっていく感じですね。篠山は古くから交通の要衝であったとはいえ、市街地はやや狭めですぐに尽き、田園風景が広がります。ほかの多紀郡の町よりは広いですがね() なお、下部の水色の路線は、篠山鉄道から譲り受けた路線、丹南線となっています。

右下にある宮田駅を出ると、列車は篠山街道に沿って進み、天引峠越え以来の山越えに挑みます。この峠は「鐘ヶ坂峠」と呼ばれており、古来より、京阪神と但馬・丹後を隔てる交通の難所として知られていました。洛嶺は、この峠を楽々乗り越えて行きますが、恐らく建設にはかなりの金がかかっているはずです。この峠を越えると、篠山以来のそれなりの市街地・柏原に到着します。


柏原を出ると、列車は加古川に沿って北上し、丹波市を構成している各市街地を駆け抜けていきます。柏原を出て次に広がるのが、氷上の街です。この旧氷上町は、合併し丹波市となった旧氷上郡では最も人口が多く、この地域の中心として発展してきました。兵庫県の丹波県民局内の町村でも、篠山町に次いで人口が多かったのがこの氷上でした。
そこから加古川沿いに北上していくと、今度は青垣の街が見えてきます。青垣は、野球選手の佐々木恭介を生んだ街として知られており、その豊かな自然は都会では決して味わえません。この青垣町の佐治までが、1925年に開業した区間です。ここから先、和田山までは戦後開通の区間になります。

青垣を出ると尚も加古川沿いに走りますが、いよいよその土地も狭隘になり、列車は4度目の峠越えに挑みます。この遠阪峠は、丹波と但馬の国境であり、古くから重要な道となっていましたが、その立地ゆえ冬季にはよく通行止めになっていたそうです。そんな遠阪峠を、列車はやや長めのトンネルで突破します。この区間の開業は、現段階の仮設定では1956年10月。丹但の鉄路がここに繋がったのです。この遠阪峠を越えると、和田山はすぐそこと言っても過言ではありません。

最後に、列車は旧山東町と旧和田山町の間の山を迂回し、和田山に到着します。かつて作っていた「洛丹鉄道」と「氷上電鉄」の終着駅がこの和田山でした。
福須線
福知山と須知を結ぶ路線です。須知は、かつての丹波町、今の京丹波町に位置していました。
福知山〜菟原

JR線の福知山駅からは離れた、中心市街地に程近いところに位置するのが起点駅・福知山駅。JR線と全く同じ駅名ながら、500メートル以上離れており、観光客泣かせの駅となっています。そこから、土師川に沿って南下していきます。その次の長田駅は、長田野工業団地の最寄り駅です。そうして長田を出ると多保市駅に着きます。この辺りまでは、福知山の中心市街地から近く、利用も比較的多い区間です。

多保市を出ると、列車はかつて三和町であったエリアに入っていきます。旧三和町に入り停車する最初の駅は、千束駅です。この千束は、三和町の中心といっても過言ではなく、三和町役場、今の福知山市役所三和支所もここに設置されています。この辺りでは、川が蛇行しているため、川を渡る区間や川に接する区間が増えてきます。

そうして、千束を出ると川は尚荒振ります。そんな川を、菟原駅手前で2度も渡ります。そうして、菟原に到着です。ここまでは比較的需要が高く、菟原折り返しの列車が時間1本設定されている・・・という設定にしたいですね
菟原〜須知

菟原を出ると、しばらく駅はありません。蛇行する川にそって、山の方へと駆けていきます。急カーブもそれなりにあるため、あまりスピードは出せなさそうです。

そうして、そのカーブをいくつも経て、菟原から5km以上離れた駅・丹波大久保に着きます。大久保と聞くと、どうしても明石市の方の大久保を思い出してしまいますね・・・。

そうして、丹波大久保を出ると、徐々に別の街に近づいていきます。その途中には、ところどころニュータウンに「なれなかった」と考えられるエリアが見えてきます。まさに、バブルの負の遺産ですね。そうして、井尻駅に到着します。この坂井から、後述する板坂線が分岐しており、ほとんどの列車がそちらへ直通している・・・はずです。そして、瑞穂町の中心、和田地区に位置している和田駅に到着します。


和田駅を出ると、列車は府道444号線に沿って南下していきます。ラストスパートですね。丹波豊田駅を過ぎ、左手に丹波自然運動公園を臨みながら、列車は曲がり、執着の須知に到着です。なお、この路線は初めは園部まで伸ばすつもりでしたが・・・

断面図的には可能ですが、資金不足に陥りそうなのでやめておきました。
板坂線
丹波本線の福住から、板坂峠を越えて、福須線の坂井駅までを結ぶ路線で、まさに「峠越え路線」です。

福住を出ると、籾井川・篠山川に沿って北上します。この上の方にあるのが丹波福井駅で、需要は殆どありません。そうして、列車は板坂峠を越えます。

板坂峠を越えると、列車は一気に駆け下りますが、民家は少なめです。そうして、丹波福井と同様、需要が殆どないのに何故かある駅・八田を過ぎれば福須線との合流駅・井尻に到着します。
丹南線

かつて篠山鉄道だったこの丹南線は、駅間隔が他の路線と比して短めです。丹波篠山駅を出ると、篠山城の堀のすぐ北を走行し、魚の棚・西町と過ぎていきます。西町を出ると田園地帯に出、岡野・東吹と駅が続きます。東吹を出ると、今までの駅間距離が嘘みたいに長くなり、結構スピードも出します。そうして、篠山口駅に到着です。
丹波エリアの路線が決定・・・!

こうして、丹波エリアの路線網が決定しました。この170kmを超える路線網を築いた会社の名は、「丹波高速度電気鉄道」。分かる人には分かると思いますが、筑波高速度電気鉄道のオマージュです。この会社が、経営悪化の末京都電燈に併合、そして後継の洛嶺に引き継がれた・・・という設定になる予定です。それでは次回は但馬エリア編。果たしてどうなるのでしょうか・・・?
To be continued…
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