【架空鉄・洛嶺電鉄制作記#4】路線網の確定〜但馬エリア編〜

前回に引き続き路線点描です。今回は但馬エリア編です。今回の但馬エリアは、丹波エリアと同様、人口がかなり少ない山がちなエリアとなります。また、少々厄介な廃線も存在するエリアです。果たして、どんな路線が出来上がるのか・・・?

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洛嶺・・・ではなく?

「よし、ルートを考えるぞ」と思った矢先、私の頭の中に「さすがに但馬地方の電力会社が鉄道を営業し、それを京都電燈が買収して但馬に進出するのは難しくないだろうか」という考えが浮かび上がりました。京都電燈は他の電力会社を合併してきましたが、但馬という一地方の電力会社が鉄道事業にも手を出し、さらに京都電燈がそれを合併するのか、と考えてみると不自然さが残って仕方がありません。そこで・・・

洛嶺電鉄とは別の「奥丹電気鉄道」が運営する路線に、洛嶺の列車が乗り入れるという設定にしたいと思います。そして、この奥丹に、洛嶺が出資しているという形にします。

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路線点描

和田山〜八鹿

和田山を出ると、暫く山陰本線と併走します。富山地鉄のような感じです。それゆえ、駅数も和田山という小さな街のわりには多めになっています。

その後もしばらくは山陰本線と並行しますが、朝来市と養父市の市境付近で遂に山陰本線と決別します。ここからは一路山の中を駆けてゆきます。路線を引きながら思っていたのですが、この辺りはやはり山が多すぎます(笑)

しかし、山陰本線と直接的には併走せずとも、ある程度距離を開けて同じように辿ります。山を抜けると、かつての養父町の中心市街地に入ります。山陰本線にも養父駅がありますが、このエリアからはかなり離れているうえ、特急列車も停車しません。そのため、奥丹・洛嶺側に軍配が上がります。

そこから先も、再び山をぶち抜き、今度は八木川によって形成された平地に出ます。トンネルを抜けてすぐにあるのが、朝倉駅。そして、川沿いに走ると、先ほどの養父よりも大きな町が見えてきます。八鹿です。八つの鹿とかいてようかと読みます。この八鹿の中心市街地にあるのが、奥丹八鹿駅です。

八鹿〜豊岡

奥丹八鹿を出ると、養父駅付近ぶりに山陰本線に再会します。この山陰本線と接続するのが八鹿駅。先ほど、奥丹八鹿駅が登場しましたが、奥丹八鹿と八鹿は別の駅です。繰り返します、別の駅です。

八鹿を出るとしばらく山陰本線と並走し、上小田駅を出ると、すぐに山陰本線と決別し、円山川の東側に形成された集落へ突っ込んでいきます。伊佐、浅間と駅を出ると、列車は再び山越えに挑戦します。

そうして、八鹿と出石の間の山を一気に超えていきます。福見、荒木と過ぎると、列車は出石の市街地の北に位置し、但馬国の一宮・出石神社の最寄り駅、出石神社前駅に着きます。ここで、奥丹電鉄の奥丹線と接続します(この奥丹線の路線点描は次回に行います)。この区間の建設は(一応)戦後ですが、このような路線は実現し得るのでしょうか・・・?(笑)

出石神社前を出ると、列車は出石川に沿って豊岡盆地を北上し、豊岡の市街地へ向かいます。もともと、山陰本線の駅と出石を結ぶ路線として、出石鉄道(1944年休止)がありましたが、戦時中に休止され、戦後の1970年に正式に廃止となりました。この世界線でも出石鉄道は存在したという設定ですが、この出石鉄道は、1928年の当路線(豊岡〜出石〜但東中山)開業により経営が悪化し、1935年に廃止となった、という感じにしようと思います。

嶋、東楽寺前、江本と止まっていくと、進行方向左手には、徐々に山陰本線の線路が迫ってきます。この区間では、まれに山陰本線との並走することがあります。そうして、豊岡警察署付近にある昭和町駅を過ぎて、ついに豊岡駅に到着します。清水五条・烏丸五条からの直通列車のうち、およそ半数はここ豊岡止まりです。

豊岡〜津居山

豊岡を出ると、市街地の西側をかすり、但馬若松駅に着きます。但馬若松を出ると、先程までの都市らしい繁栄が嘘かのように消え失せて、田園地帯へ突入、そして円山川を渡河します。円山川を渡ると、少しカーブして、円山川に並行して走るようになります。

渡河ししばらく走ると、集落が見えてきます。その集落の西端に下鶴井駅があり、そこから山沿いに走ると、但馬地方きっての名勝地・玄武洞の最寄り駅、玄武洞前駅に着きます。豊岡から玄武洞前までは、1933年に、玄武洞公園の観光事業を推し進めた(という設定の)会社・但馬観光電鉄によって開業した、という設定です。この鉄道は、1943年10月1日に不要不急線として休止させられる予定でしたが、鳥取地震の影響で当初予定より2週間ほど早い9月11日より、運行を停止しました。戦後は、沿線住民の陳情により復活を遂げ、1947年6月25日より運転を再開しました。

そして、玄武洞前駅を出ると、先述の1947年6月の一部区間の復活時に、新設開業した区間に突入します。周辺に小さな集落かコウノトリの人工巣塔くらいしかない戸島を過ぎると、山をトンネルで貫き、城崎湯町駅に到着です。この城崎湯町で、多くの清水五条(烏丸五条)発の特急列車が折り返します(津居山発烏丸五条行の特急列車は、一日五本運行されています)。

この城崎湯町は、もともとは城崎温泉の各旅館などが出資して誕生した「城崎温泉軌道」という別の鉄道会社が、1930年に開業させた際の起点となりました。山陰本線とは接続していませんでしたが、城崎温泉の中心部に位置しており、利便性はそれなりに高かったようです。奥丹電鉄の誕生後は、豊岡、京都からの直通列車がバンバン走るようになり、発展を遂げました。

さて、そんな城崎湯町を出ると、いよいよラストスパートです。列車は、城崎の八阪神社や、円山川に掛かる港大橋の近くに位置する小島駅に到着します。この駅は小規模ながらも、対岸の気比地区の需要も見込まれているため、特急停車駅となっています。そうして、この小島駅を出ると、港が見えてきます。こちらが「津居山港」で、「津居山かに」と呼ばれる良質な松葉ガニが水揚げされます。そんな海を臨みながら、列車は左へカーブ。京都・清水五条からおよそ160km続いてきた鉄路も、この津居山駅で終わります。この駅からは、城崎マリンワールドへのシャトルバスが運行されており、土休日は家族連れで賑わいます。また、この駅から数分歩けば、荒れ狂う日本海の姿を臨むことができます。なお、ここから先、竹野まで伸ばす計画もありましたが、需要や資金の問題で潰えています。

まとめ

今回は、但馬エリアの路線点描を行いました。感想は・・・

「路線をひきにくい!」

この一言に尽きます。ただでさえ平野部が少ない地域に、山陰本線が「ドーン」とあり、しかも出石鉄道というどつ扱うかが難しい廃線もありました。こういう時こそ歴史改変が役に立つと改めて実感しました。次回は、洛嶺電鉄・奥丹電鉄の路線点描第四弾。今度は丹後エリア編です。おそらく来週土曜日の投稿となります。

To be Continued...

この記事を書いた人

杉山英澪
杉山英澪
明石生まれ・奈良育ち・守山住みの学生架空鉄。東海エリアや架空鉄関連の記事を中心に書いています。心の中はいつも東海市。全力で知多娘を推しています。

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