
こんにちは。こづるしんでんです。
仙石線の個性豊かな車両たちを紹介する、仙石線車両図鑑。今回は被災し現存しない、205系3100番台M9編成を紹介していこうと思います。
概要

M9編成は、205系3100番台の中で9番目の編成となっています。
あおば通方から、クハ204-3109、モハ204-3109、モハ205-3109、クハ205-3109の4両編成です。
東日本大震災の際に被災し大破したため廃車・解体され、現存しません。上の写真はWikipedia Commonsからお借りしてきましたが、とても貴重な写真ですね。
転入元は?

仙石線の205系で8番目に宮城野に転入した編成で、2002年3月13日に転入しています。
※ラッピングの関係かM8編成と順番が入れ替わっています。
転用元は、あおば通方から、サハ205-165(ハエ10編成)、モハ204-77(ヤテ26編成)、モハ205-77(ヤテ26編成)、サハ205-164(ハエ10編成)です。
土崎工場で転用改造が行われました。ATACSが搭載されており、ID-07が振られています。
特徴は?

ドア窓の大きさは、両方の先頭車は埼京線由来のため大窓に、中間車2両は山手線由来のため小窓になっています。ちなみに両方の先頭車が大窓なのは、仙石線ではM9編成が初となっています。
前照灯はHIDのままだったほか、霜取りパンタグラフの設置はありませんでした。

塗装は標準塗装のほか、内装はオールロングシートでした。
ちなみにこのロングシートの写真、M3編成のモハ205-3103で撮ったんですが、実はM9編成、というか一部の車両の内装とちょっと違うところがあります。
それは……網棚です。まあこの辺はそのうち詳しく解説します。
東日本大震災で被災

M9編成は震災発生時、1426S石巻発あおば通行き普通列車として、野蒜駅を発車して東名方面へ向かっていた直後でした。
14時46分、列車は走行中に緊急停止し、野蒜駅から東名駅側へ約700m進んだ場所で停車しました。
仙石線は海沿いを走る区間が多く、この付近も例外ではありません。
海までは直線距離で数百メートルで、津波の危険性が非常に高い場所でした。東松島市一帯に大津波警報が発令された後、 最寄りの避難所である旧・野蒜小学校へ乗客を誘導 する判断を行います。
その間、線路に取り残されたM9編成は無人。
やがて沿岸に押し寄せた津波によって、M9編成は脱線し海側へ流されて、くの字に曲がり大破しました。そしてM9編成は復旧不能と判断され、仙石線205系の中で最初に廃車になった編成となりました。
一方、避難した先の旧・野蒜小学校にも津波が押し寄せてしまいました。少なくとも乗客一人が亡くなったことが確認されています。
まとめ
震災で姿を消したM9編成。
しかし編成そのものは仙石線の205系を語る上で欠かせないピースのひとつです。
次回はもう離脱してしまったM10編成。
最後までご覧いただきありがとうございました。

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